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言葉

今日も今日とて書き綴る


言霊ってあるじゃないですか。言葉のパワーとかそういうヤツ。

ワテクシは反オカルト主義者なのでそういうのはあまり信じないタチなんですがね。wikipedia見たら「声に出した言葉が現実の事象に何かしらの影響を与える」とかクソ真面目に書いてあってビビった。今時マンガでもそんな設定なかなか見ないぜオイって感じ。

でもまあそれはそれとして言葉ってのは中々神秘的であると思う訳なんですよね。何が神秘的かって言われるとうまく説明できない訳なんですが。まあ強引に一言でまとめると言葉と現実(?)の関係ですかね。

有名な話だと日本語の「月がきれいですね」が英語だと「アイラブユー」になるとか「吾輩が猫である」が「アイムキャット」になるとかそこら辺ですね。意味は合ってるけど日本語が持っている微妙なニュアンスが潰されてしまっているるるるるる。

さらにわかりやすい例は方言ですかね。ワテクシはトーホクの民なのでよく「おだづな」やら「いづい」やらの言葉を使ったり使われたりする訳ですがこの言葉に含まれているニュアンスを他地方民が理解しきるのはまあ難しいと。

ちなみに「おだづな」ってのは「ふざけるな」とか「はしゃぐな」ってのをちょっと軽くした感じで「いづい」ってのはしっくりこないをちょっと強めた感じ。

さっきの例と同じでこの軽くなってたり強くなったりしている部分がなかなか重要なんですよね。方言って結構そういう所あるよね。沖縄弁とか結構普通に聞いてもわからんけど東京弁に直してもその過程で何割か意味が抜け落ちてそう。知らんけど。うん。

こういうのを一言でまとめると「感覚・ニュアンスを言葉にし切れていない」となる訳です。もっと正確に言うとその感覚・ニュアンスを乗せるための言葉が存在しないんですね。

でコレを推し進めると「言葉に出来ない感覚・ニュアンスが存在する」という事になります。いや誇張でも何でもないんですねコレは。英語に出来ない日本語が存在するように日本語に出来ない言葉も存在するんですよと。

今ググったら「キリグ」ってのが結構有名らしいですね。意味は「おなかの中に蝶が舞っている気分」…と。わ、わからん。他にも「ティヤム(始めてその人に出会った時の自分の目の輝き)」ってのもあるみたいです。もうわけワカメ。分からなすぎてワカメになった。

あと身近な例だと「すれ違うときに両方が同じ方向に避けちゃってかち合って気まずくなるアレ」もありますね(通じてるか…?)。アレも程度は違えどこういう物の一種であるわけです。

ででこれをさらに推し進めると「人は完全に未知の物を見たときにそれを言葉にする事が出来ない」となるんですね。ここまでくるともはや思考実験とかそういう類の話になってしまいますが。

有名な例だとクトゥルフですかね。あそこで出てくる神はよく「名状しがたき者」みたいな呼ばれ方をしますがそれは至極当然の話であって人間世界に存在しないモノを人間世界の言葉で表現できるわけがないんですね。2次元世界の人間が3次元に値する言葉を持たないのと同じ感じ。

でそうなるとそもそも言葉に出来ない物を知覚できるのか…という話になってくるわけです。さっきの例に例えると2次元世界の人間は3次元世界の存在を知覚できないよねって感じ。色には本来無限の種類が存在するはずなのに人間が言葉を作り出したせいで知覚・弁別できなくなるとかもコレにあたる。

ワテクシは知覚できない派にかなり寄ってるのですが皆様はどうでしょうか?ちょっと意見聞いてみたさありますね。

あと他には「言葉が感覚・存在を形作る」というのもありますね。幽霊とかがその最もたる例でしょうか(霊だけにな!(は?))。他には悪い・良いイメージを持つ単語(近頃だと薬物・努力とか)もこれにあたりますね。

この項目についても深く考えると中々面白いが文章がかさんできたので省略する(というのは嘘で上手く纏まらなかっただけだったりする)。

こんな感じで言葉と現実の関係ってのはなかなか奥が深いんですねハイ。この記事が普段使ってる言葉について考える機会になったらありがたいですすすのす。なんか腑抜けた終わり方になってしまった。だが私は謝らない。


おしまい