私が1番辛い
"私が1番辛いのに。辛いアピールうるさいんだよ。"
と、誰かが辛さを打ち明けているテクストをネットで見たり、動画投稿サイトで見たり、はたまた自分の友達が愚痴っているのを耳にするたびにこう思っている自分がいた。
私はいつも悲劇のヒロインになりたがっていた。
そのことは自分の頭でよく理解していた。だから、口には出さずにいた。友達の悩みは黙って聞き、インターネットに溢れ返る誰かの"私はHSPです"だの"鬱について"だの、受け流してきた。(特定の個人を指すものではありません。)
誰かがHSPを打ち明けるたびに、"HSPと打ち明けられる図太さがあるならHSPなわけないだろう"とか、"鬱だと公表してなにになるのか?"とか
そういうドス黒い感情が常に私を支配していた。
私は日々暮らす中で自分自身は何が辛いと思って生きているのかわからなかった。決定的にこれが辛いと決まっていないのに、なぜだか毎日息をするのが苦しかった。
そんな苦しさを誰かに伝えたり言葉にしたりすると、途端に自分の苦しみは薄っぺらなものにも感じられた。
誰かにわかってもらえるはずもなければ、誰かにわかってもらえてたまるかと言う気持ちもあった。
今でもこの気持ちは変わらない。
が、私が思うに誰だって自分のことを打ち明ける権利はあると思い始めている。
私が悲劇のヒロインになりたがってるのは、自分には何かを打ち明ける権利がないと思っているからだと思うのだ。
鬱と診断されたわけでもないし
トラウマに囚われているわけでもないし
だから、なんだか辛い、みたいな愚痴を言ってはいけないと思っていた気がする。
今も誰かにこの気持ちを打ち明ける気持ちにはなれないが
インターネットの大海にこうしてほっぽっているのも一つの打ち明け行為だという気がする。
この話に終わりはないが
悲劇のヒロインになりたい人はたくさんいるのではないかと私は思う。
もしこれを読んでくれた貴方がそうなら、
貴方には貴方の辛さがあるし、誰よりも辛いと思う。貴方より辛い人なんていない。ここまでよく頑張って生きているね。
そう伝えたいと思った。
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