お墓巡り
お墓。
人は誰しもいずれ死を迎える。
宗教にもよるが、大概の方は骨となり、その遺骨はお墓が建てられて、その中に埋葬される。お線香を焚いて、お経を読んで、故人を偲ぶ。亡くなったとしても、お墓に行けば、また話が出来る。そう思っている方は沢山いるのではないか。
そして、1年で1番故人を心の中で強く思うことが出来るのが、お盆であると私は思う。
緑がより一層色濃くなり、草花達は思い思いに我が1番と輝き、主張をしている。朝陽はそれをみて、微笑んでいる。まだ昼間の暑さには及ばない。
その中を私はお線香とライターの係りで、いくつもの塔婆はおばあちゃんがいつも持ってくれていた。
夏休みはもう中盤に差し掛かっていて、いつもいく海にもいってきた。
スイミングに通う身としては、泳ぐのがすごく楽しいから、海はいつも楽しみなことの1つだ。唯一スポーツの中で自信が持てるものはこれだけだったから、尚更のことである。
毎年のことが順番に通り過ぎていく中、さみしいなぁ…朝ごはんを待ちわびて、しっぽを大きく振る私の妹分にドッグフードをノロノロと入れながら、思いに耽る。
たぶんやつは私のお姉さんと思っているに違いないが、私の方がお姉さんだ。気持ちの面では。。
そのすぐ近くでお仏壇にお菓子を備えていたおばあちゃんが、こっちに向いた。
今年もお墓参りに回るんだけど、
今回も一緒にいくかい?
私はその言葉にハッとして、いく!と反射的に返していた。
そうだ、まだこれが残っていたではないか。忘れていた自分もいたが、考えてみたら、まだあのキュウリとナスの馬と牛を作っていなかった。
私のおじいちゃんは私が生まれる前、いや、1番上のお兄ちゃんが生まれてすぐに死んでいる。
私には2人のお兄ちゃんと、2つ下の弟がいて、男ばかりに囲まれていれば、ヤンチャな女の子に育ちそうなもんなのに、私は1人のんびり屋に育っていた。だから、男3人で騒いでいるのに、こっちはいつも置いてけぼりなところがある。それでも最後には1番上のお兄ちゃんが文句をいいながらもそばについてくれていて、海の帰りにみんなで1つの歌を大合唱なんてことも沢山あった。
故に。家には当たり前にお仏壇がある。毎朝おばあちゃんはお水を変えて、鐘をコーンと叩いて、お経を唱えていく。
その中では家族一人一人の名前も順に上げていく。なんでいつもみんなの名前をいうの?答えはすぐに返ってきて、それはみんなが元気でいれるようにっておじいちゃんにお願いしてるんだよ。そんな風に話してくれたことがある。
私はいつもそれを見て、毎日よくやるなぁと思ってはいたが、時々いっしょになんみょうほうれんげーきょーと唱えてみたりすることもあった。おばあちゃんはそれを見て、いつも笑っていた。
蝉がジャンジャン、ジージーと喚いて、うるさいなぁと聞き飽きた頃。
それは毎年恒例の行事、
お盆の前のお墓参りである。
今にして思えば、帰ってくる皆様を迎えるための挨拶回りのようなものに当たるのではないかと思われる。
うちは親戚との関係がとても深いことと、母屋であることの2つがある。
なので、この頃にはお仏壇にお線香を備えに沢山のお客さんが来る。
私にとっては知らないような人でも、〇〇ちゃん大きくなったねー!!といわれるので、ありがと!と返さざるを得ない。
けど、それは私にとっては苦ではなく、むしろいっぱいの人がうちに来ることはなんだか楽しくて、待ち遠しいことの1つだった。あと、お菓子も沢山積まれていくので、その中身当てをするのもまた楽しみにしていた。
まだ暑さが落ち着いており、セミたちも木陰で休んで、キラキラ光る太陽の夢を見ているのだろう。空気は湿気を含んでいるものの、肌にはほんの少し冷たさを感じると思われる明朝。
私はまだ小さいため、軽いものを回してくれていた、お線香とライターを持ち、おばあちゃんがそれぞれ故人の名前を書いた花塔婆を30本以上あっただろうか、を背負い、挨拶周りは始まる。
お寺は3件ほどのハシゴである。1番遠いところから回っていくのがまた恒例のことだった。
1件目は孫とそれを連れたおばあちゃんの2人が歩いて、30分くらいかかっていただろうか。
富士山からの雪解け水が湧き水となって、その地域は湧いている箇所が多数あることで有名だった。そのため小学校の頃には校外学習で湧き水について調べることもしている。
その1件目のお寺でも湧き水が出ており、実は授業でも行ったことがあったお寺であった。なんだか涼しげに感じられたことを今でも思い出す。
早速、塔婆を立て、私が持ってきたライターを使って、同じく私が持ってきたお線香に火をつけていく。1つのお寺で何件か回るため、1回でいくつものお線香にまとめて火をつける。
そして、おばあちゃんからその中の数本を受け取り、線香立ての中に供える。
熱いのではないかと少しビクビクしながら、さっと供える。
横で静かに見守ってから、おばあちゃんも行動に移す。
怯えることなく、テキパキと、そっと手順を終える。その慣れた手つきに何であんなに怖くないのかなぁと思ったものだ。
2人、お墓の前で手を合わせる。
南無妙法蓮華経、2回か3回、おばあちゃんが唱えてから、静けさが流れる。線香立てから立ち上る白い煙にのって、香ってくるお線香の香り。いつも通りの慣れた香りに身を任せ、私は会ったことがないご先祖様にご挨拶をする。
今年もよろしくどうぞ。待っていますね。
程なくしてから、目を開き、無事に今年も来れたことに嬉しさが湧いてきた。
おばあちゃんはもう私より先に目を開いていて、ここでも待ってくれていた。
1件、1件、ご挨拶を重ねていった。
何本もあった塔婆は順々に少なくなっていく。持ってくれている大きな荷物が軽くなっていくことは小さいながらも申し訳ないと思っていた自分の気持ちも同時に軽くしてくれた。
2件のお寺を無事回ることが出来た。
最後のお寺は家から1番近いお寺。
ただその途中で一件、コンビニがある。
実はそこでちょっとした物を買っていくのもちょっとした恒例。それが楽しみでいくのも1つの理由である。
最後に辿り着いたお寺。
坂を登り、小さい丘の途中に立っている。
あのお寺特有の反っている大きな瓦屋根。見る度に、お寺に来た実感を一気に感じる。
おばあちゃんは毎回お寺の人にお供えを渡して、世間話をしていくのが決まりらしい。私も一緒に挨拶をして、お墓に向かう。
もちろんこのお寺でも何件もお線香を供えることになっている。
ここまでくると、きいたことがある、少しでも親近感が湧いてくる名前のご先祖様が多くなってくる。
今年も来ましたよ〜〜元気ですよ〜〜と話しながら、回っていく。
相変わらず、お線香を入れるときは熱いとビクビクしながら供えていく。
最後の1件目。
今年も来たよ!
第一声、他の皆様より少し大きく声が出た。おばあちゃんが着くのを待って、再度向き直った。顔も声も見たこともきいたこともないが、1番近くで見てもらっていると思う。おじいさん、今年も来たよ。おばあちゃんがお墓の前を綺麗に掃除しながら、話している。といいつつも、おばあちゃんは度々、お墓まいりには来ているので、お墓は綺麗である。
ここだけはしっかりと、だが、迷惑にならない程度に、線香を灯すための、火を起こす。これも手慣れた風におばあちゃんはやっていく。私は危ないからと見学に徹する。
小さく起きた火にお線香を取り出し、つけ、もうそろそろ慣れてきた手でお線香を受け取る。
供えてから、下がって、
おばあちゃんも供える。
じいちゃんに会いたいなぁと思ったことは何度もあった。それでもやはり会えないのだから、しょうがないことはわかっている。唯一会っている1番上のお兄ちゃんも覚えてはいない。それでも話の中では抱っこしてもらったり、一緒にお茶を飲んでいたりしている。そのことはなんだか羨ましかった。
女の子の孫を欲しがっていたんだよ。
そんなことを誰かが教えてくれたことがあった。
おじいちゃんには3人息子がいて、娘はいない。尚のこと、女の子が欲しかったらしく、長男が結婚した時も娘が出来た!と、可愛がってもらったのよねと、お母さんからきいたこともある。
じいちゃん、ウチにも女の孫が出来たんだよ〜
会っていたら、喜んでくれただろうか。
そんなことをいつも考えながらも毎年の夏はやはり会えるような気がして、なんだか嬉しかった。
挨拶が終わり、目を開く。
ここではおばあちゃんの方が長く、手を合わせていた。隣でご挨拶が終わるのをじっと、待つ。白い煙が2人を包んでいた。
さて。
そろそろやるかい。
いそいそと2人でコンビニ袋から先程買ってきたものを取り出す。
そう。
最後の仕上げ。
朝ごはんである。
実はコンビニではその日の朝ごはんを買っていた。
今年はおにぎりを買った。ツナマヨが好きだ。
飲み物も受け取り、2人で地面に座って食べる。
どこか。
おじいちゃんのお墓の前である。
これがなんとも言えない楽しみなのだ。おにぎりはバリバリと軽快に音を立てながら、ツナマヨに辿り着くのを待ち望み、食べ進めていく。
おじいちゃんと一緒に食べている。そんな風に思えて、これがまた嬉しかった。
お墓の前で満面の笑みでおにぎりを食べる1人の女の子と、孫の美味しそうな顔を見守る1人の老婦。その場に気持ちのよい風がサラサラと吹いている。今年も無事に巡り終えたことを今日ここで初めて自覚した。
太陽がギラギラと輝き始め、セミが今日も大きな声で歌ってやるぞと準備をし始める。片方は1つの巾着袋にまとまった荷物を握りしめ、もう片方は自分より沢山シワがある、けど、温かいその手を握り、先導に立つ。ほのかに漂う線香の香りを惜しみつつも、また来るし、待ってるからね!声が届くよう、大きな足取りで、軽やかにその場を後にした。