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天秤座の満月


前日に買ってきた本を読む。今日も一日が始まるらしい。


今年は早咲きの桜だったため、最も輝いている姿を丁度満開程の姿を見る事が出来た頃。
一身上の都合により、約3年間勤めていた職場を退職しており、自宅警備員へ見事に転職を果たした。
それでも、仕事をしていなかったことはなかったので、新しい道を探してはいた。
ただ。昨今、世を揺るがせている感染症の不況というのはやはり大きいらしい。
前職においても、既往症を持つ患者というのは大事に成りかねない為、訪問を拒否するということが多かった。故に引き継ぎをしようにも出来ない事が多く、頭を悩ませたのは言うまでもない。


旦那に本当に危機感を持っているのか?と怒られ、お尻を叩かれたばかりだった。
そんな中、せめてもの抵抗で、弱点を補填するために本を読み始めた。
コロッケを作り、遅く帰る旦那を待ち、揚げたてを2人で噛み締める。
味が薄かったねというも、ジャガイモが基本的に好きだからこれでいいんだよといってくれた相方にはありがたみを感じた。

最後のコロッケを見比べて、こっちの方が大きい!と主張するので、そっち食べなよと促す。言った本人が子供だよね〜と自覚していた。
しかし、昨晩の夕食は冷鬼がごとく淡々と怒りを伝えるその姿を見ている。それが嘘のように振る舞ってくれる彼はやはり大人だ。

昨日炊いてあった冷飯を電子レンジで温めたご食はいつもより温かく感じた。


なんだか眠れなかった。
夜遅く帰る旦那を待ち、一緒に食卓を囲んだ揚げ物の刺激が強かったらしい。
悪夢ではないが、眠っているのに脳裏には映像がしっかりと流れており、幾度となく、目を開けた。
しかしながら、昨晩は今年で最も月が満ちる日というのは最近意識し出した星読みで把握していた。
といっても他の方がそういっていたのを見ただけである。
またその満月というのが天秤座の満月。
神無月に生を落とした我が身としては月が光り、輝いている様に無性に目が離せなかった。
明かりを落とした寝室で、意識が遠のいていく相方が手を差し出すのに少々断りを入れ、窓からその姿を拝む程には。
それでも一応は夢だと分かる程度に夜を過ごすも、どうしても何か意識が覚醒してしまう。
もうこれは。
意を決して、寝床から身を持ち上げると、案外すんなりと起き上がれた。
毎朝、寝起きはうううとうめきを上げながら、重い身体を持ち上げる自分とは嘘のようだった。


カーテン越しにまだその日の幕が舞台が上がっていないことがわかった。
桜は緑の衣へ着替え終わる頃だった。
外界はもうそこまで冷気を含む時期は過ぎている事を確信し、玄関の鍵を開けた。


すると、まだその方はいらっしゃった。
仄か(ほのか)に闇のヴェールを纏った空にまん丸と光るそれはもう少しで役目を果たすわずかな時間を楽しんでいる様だった。
心の中で一例し、外階段を降りた。
東の方からは徐々にまた新しい日々が始まろうとしている。
現に、スーツで身を固め、革靴のはっきりとしたあの音がすぐにもきこえてきそうな人々が遠くに見えた。
寝巻きに寒さを我慢するためだけに羽織ったパーカー、素足でスニーカーを突っ掛け、携帯片手に闊歩する私はなんとも居た堪れない気持ちになった。


申し訳ないと思いつつも、歩を進める。
いつもであれば、人々が忙(さわ)しなく行き交う駅までの道も、外灯の光が淡く滲むのを目の片隅に置けるまでにその静けさが際立っていた。


お茶の産地で有名な片田舎から引っ越して来て、三つの年を跨いだ。
この春で四つ目の新時代を迎えているのだが、人生はそう上手くは進まないと思い知らされるばかりである。
そんななか、皮肉にも初めて、この都会の日の始まりを彷徨い歩く事をした。
あの殺気立った閉鎖的な一日の始まりに当初、絶望に近い物を感じる事もあった。
何故そこに入る、苦しくないのか、今、肩ぶつかったよね?
少し触れただけの肩に思う苛立ちと茶の香りと共に必然的に出される朝茶の時間を思い出し、そのギャップの激しさに悩まされた。
1日が終わり、帰宅ラッシュに身を寄せ、辿り着いた自宅に向かう道は果てしなく遠かった。
外灯が一律に一定間隔を保ち並ぶ光景に何故そんなにまで明るくするんだと訳もわからぬ怒りを持ったあの日はその日その日を生きていくのにしがみ付いていたという事が今にして、ようやく理解出来た。


風が音を立てて吹き始めた。
満月の夜や朝もだろうか。
風が強くなるというの常だと思われる。
あまり目立たぬよう、腕を伸ばし、空の写真を撮る。
次の満月はいつだろうか。
姿を隠そうとしていくその方に携帯のカメラである事を断りながらもシャッターを切る。
その反対側では陽の気が支配し始めていた。
薄紫から橙のヴェールに変わりつつあるグラデーションに目が釘付けになった。
刻一刻と、変化し続ける天を見上げながら、現状を思う。


いつ、この暗闇に日が差し込むのか。
それこそ神のみぞ知るだろう。
ただ、こうしてふと見つける事が出来た朝のように希望はいつか降ってくると思う。
明けない夜はない。

カラカラン。
早起きの御老人がゴミ捨てに訪れている。
今日は缶の日だった。ペットボトル、紙パックも捨てなくては。
そろそろ冷えに耐えきれなくなってきていたので、ポケットに手を突っ込み、帰路に着いた。


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