跳びはねて、跳び出すべきは
2週間ほど前に、映画『僕が跳びはねる理由』とThe Reason We Need to Jump outというブログ記事を書きました。
映画を観てすぐ翌日に書いた記事で、その後、原作のオリジナル(?)である『自閉症の僕が跳びはねる理由』という東田直樹さんが書かれた本を読み、今はちょうど『The Reason I Jump』というKA Yoshida & David Mitchellさんによる英訳版を読んでいるところです。
そしてつい先ほど、Twitterで、この映画に懸念を抱いているという方から、メッセージをいただきました。
https://twitter.com/berutei/status/1382995199748575232
詳しい意見はブログ記事等に書かれているということで、そちらを読みました。
Twitterでやり取りするよりは、まとめて書いた方がそれぞれの意見が分かりやすいかな? そしてそれを目にした人にも自分の意見を考えていただきやすいかな? と思ったので、以下に私の意見を書きますね。
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まず、<ニセモノではないか>という意見については、可能性は否定はしませんが、私はそう思っていません。ただ、コミュニケーションの中で編集された部分はあるかもしれません。
私自身、インタビュー取材をして記事を書きますが、先方の了承を得た上で話の順番を入れ替えたり、表現を伝えやすいものに変更させてもらうことはあります。
<健常者にとって都合のいい存在に必要以上に飛びつくのではないか。そうすれば「自閉症をイヤだと思う自分」から逃げられるから>
-- これは、自覚はしていませんが、どこかにはあるのかもしれませんね。
インクルーシブな社会がどうすれば実現するだろう? とヒントや手がかりを求めているのは事実なので。
ただ、仮に<ニセモノ><逃げ>という2つが事実だとしても、だからこの映画が「おかしい」という話には私の中ではなりません。
この映画が描いているものが人類にとって危険だとか、ひどく誰かを貶めるとか傷つけるとかという部分は私には感じられないし、どちらかと言えば、あなたが書かれている内容の方が、関係者を傷つけるのではないかと感じるからです。
とは言え、私自身も「会話でのコミュニケーションが不可能」な自閉症当事者の全員が、この映画で描かれていたように「言葉として発せられないことに苦しんでいる。自分、家族、社会との関係それぞれに苦しんでいる」かは疑問です。
そうである人も、そうでない人もいるのではないかと思います。
そして、「会話でのコミュニケーションが不可能」な身内や、非常に近しい関係の友人が私にいるわけでもありません。
それでも、この映画は、私にこれまで考えが及んでいなかった気づきを与えてくれました。そして想像力を発揮すべき対象を教えてくれました。
だからこそ、私は自分のブログ記事に<The Reason We Need to Jump out>というタイトルを加えました。
自分のこれまでの思考や想像力のしばりや枠から跳びはねて、跳び出すべきは私たちの方ではないかと思ったからです。