信用担保とブロックチェーン
ブロックチェーンのおもしろみをどこに見出すか。
それは人それぞれだし当然それでいいのだけれど、そのもっとも根源的な価値は信用担保システムに新たな可能性を与えたことではないかと思っている。
従来の中央集権型の信用担保システムから脱却する方法を確立し、そこに進化の可能性を与えたことではないだろうか。ブロックチェーンとは「分散型台帳技術」である。
いや、厳密には「分散型台帳技術の一種」らしいのだが、この辺りは詳しくは理解できていない。そしてここは「技術者以外はこだわらなくいいレベルであろう」と判断している。ブロックチェーンとは暗号通貨ではない。
暗号通貨はブロックチェーンを基盤に作られたプロダクトの一つに過ぎない。が、振れ幅が大きくバクチやボロ儲けの臭いが好きな人がその側面から興味を持ち、一緒くたにして語ることもある。
と、大体これが「おれにとってのブロックチェーンの基礎知識」なのだが、最初のブロックチェーンのおもしろみをどこに見出すか。についてもう少しちゃんと考えてみたい。
「新しい信用担保システムである」といったら、まずは従来の信用担保システムのあり方や、その中心的存在である国家や宗教にまで踏み込むべきかなと思いますが、ここではそこまでは見ません(とは言え、ちゃんと考えようとすると、本当は不可欠なのでしょうが)。
インターネットは、重力(場所と時間)という制約を突破するサービスを多数生み出してきています。ただそれには常に「信用の担保」という問題がつきまとっていました。
分かった風な書き方をすると「取引コストと信頼コストの関係が従来と別次元になった」のだと思います。
インターネットがもたらすコストメリットを最大限に得ようとすると、騙されるリスクがメチャ高くなり、騙されるリスクを極限まで抑えようとすると、インターネットのメリットはほぼなくなる。
この辺りのバランスが難しく、「口コミ」が「ロンダリング」の巣窟となるなど、toC領域ではイタチごっこが続いてきました。
そしてtoB領域はtoC領域で確立したブランドを取り入れるだけで、実質的に大きな変化は生まれていなかったと言えるでしょう。
それが変化してきたと言われているのが、サプライチェーンやバリューチェーンという「製品やサービスのライフスパン」が、ブロックチェーンで透明化されていく流れです。
権威や口コミに頼らなくても、ブロックチェーンがその製品やサービス、そして今に至るプロセスがクリーンであったり由緒正しかったり唯一無二であったりを、証明してくれるようになってきているというわけです。
著名なところでは、「児童・違法労働撲滅」や「食の安全」の取り組みなどでしょうか。
そして最近では、資源循環型社会への取り組みとして、コンソーシアムやプラットフォームを作り提供するモデルが増えています。
…だが、よく考えるとtoB領域のこれらは、実際には信用担保するのが「一社」から「複数社」に変わったに過ぎないのではないか。そしてそれは「中央集権型からの脱却」というブロックチェーンがもたらす根源的な価値には、実はほとんど近づけていないのではないでしょうか。
厳しく言えば、トークン化やスマートコントラクトといった「ブロックチェーンにくっついてる周辺の利便性(「おまけ」は言い過ぎ?)を味わっているだけであって、「非中央集権の分散型エコシステム」はまだまだ遠いどこか…な状況なのではないだろうか。
…と、ここまで書いたところで、先日読んだ『日本最大級のNFTマーケットが最悪すぎる話』が、まったく同じことをもっとずっとスマートに書かれていたことを思い出しました。それを引用しておしまいにします。
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