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「本当のおれ」が大嫌いで、人にばれるのが怖かった


(…)本当の「不遜なおれ」や「ちっぽけなおれ」を知ってもらいたくなっている。
(…)取り繕っていない本当のおれを見せられるのは、世界に3人くらいしかいなかった。

こないだそんなことを書いたんだけど、「ちゃんと捉えてないところがあるなぁ…」と書いた直後から感じていた。
この文章だけだと、「カッコ悪いところは見せたくないと思い続けていたおれ」のことを説明はしているけれど、なぜ見せたくないのか分からない。

どうしてそうなのかに触れていない。

自分の感情を知られるのが嫌だった。
特に、それが悲しさとか寂しさとか焦りとか嫉妬とか諦めとかツラさとかそういう感情だと。
だってそれが知られると、自分の弱さがばれる気がして。そして弱さがばれると、いつかつけ込まれて酷い目に遭うんじゃないかという気がしていた。
怖かった。だから嫌だった。そして怖気付いている自分が大嫌いだった。
だから、バレないように隠してた。あんまり上手じゃなかったと思うけれど。

いつからそうしていたのかはまるで思い出せない。多分、すごく小さなときからだったんじゃないかな。
おれの一番古い記憶は幼稚園時代なんだけど、そのときにはすでにそうしていたと思う。いや、間違いなくしていた。そして小学生中学生と、どんどんそれを強化していった。
そして少しずつではあったけど、いくらか上手くなっていったんだろう。

もっとしあわせに生きたくなって、それには自分を大嫌いなままでいては無理だと思うようになった。そして自分を好きになる方法を考えて試し始めたら、うまく行った。
それから、悲しさとか寂しさとか嫉妬とか諦めとかをまずは自分がちゃんと受け止めるようにしたら、「あれ? これって弱さじゃないんじゃない?」と隠す必要も感じなくなっていた。
2つが合わさったら、自分がどんどん好きになった。なーんだ。

ところで、ずいぶん昔に読んだ本でタイトルとかは忘れちゃったけど、人は特定の感情だけを隠せるようにはできていなくて、ある感情を制御すると他の感情もセットで制御されてしまうらしい。
(『「首尾一貫感覚」で心を強くする』だったか、『本当の勇気は「弱さ」を認めること』だったか…。それとも全然違う本だったかも?)
きっとそのせいだと思うんだけど、おれは今でも喜びや感謝の感情を表すのが下手くそなままだ。
これもそのうち気づいたらなくなっているのかな?


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