ここは古いし騒音がひどいって有名なのよ
はてなの『子供に不寛容だった俺が寛容になった話』というブログ記事を、下記のコメントをつけてFacebookとTwitterでシェアした。
ちょっと予想していた通り、何人もの友だちがそれとなく忠告風の(?)コメントをくれました。
「大人になると子どもの頃のこと、忘れてしまうよね」とか「子どものやることだからしょうがないじゃん」って。
うん。分かる。でも、分からないところもあるし言いたいこともあるかな。
半年前にUR物件に引っ越した
10数階建ての8階。昭和の雰囲気たっぷりのマンモス団地。
先日配られた地域新聞によれば、住民の約半数が年金世帯らしい。2割くらいはアジア系の外国人の方たちかな、きっと。
外見に似合わず内装はリフォームしたてで、キッチンにこだわるカミさんもその点はお気に入り。
おれの好みは…長時間通勤と電車の乗り換えだけはゴメンだ。あとは家賃が払えるレベルでカミさんが気に入っているならなんでも構わない。
暮らしはじめて1カ月。大きな不満はなかった。
どダダッ! どダダッ! どダダダ〜〜ッダダッ
とある土曜日の夕方、天井から爆音が響いた。爆音は数十分断続的に続き、終わったと思ったらまた1時間後くらいに再スタートし、今度は2時間近く続いた。
「この音は、おもちゃの車に乗って走ってる音」「これはジャンプしている音」 — 音の種類で何をしているかだいたい分かるらしい。
おれは子どもと暮らしたことがないからよく分からないのだが、カミさんは姉の子どもとも兄の子どもとも暮らしていたことがある。
もともと騒音に敏感な人だ、でも、人に文句を言ったりするのは苦手だしすごく躊躇する人だ。
カミさんの肩が上がり気味になってきて、ときどきぎゅっと目を閉じていた。
「ひとまずは初めてのことだし、1日は様子を見てみようよ」 — 夜も9時を回った頃、音は降ってこなくなった。
翌朝7時前、再び爆音スタート
カミさんの顔がひきつっていた。僕らは手早く身支度を済ますと、外出した。
外出先でお昼を食べながら話し合った。かみさんは「どうしよう。帰ってもまた騒音が酷かったら…。もう少し我慢しよう。それでもダメだったら…管理事務所に」と、困惑していた。ちょっと大げさかもしれないけれど、少し怯えているようにも見えた。
「ひとまずある程度は我慢してみたから、帰ったら上の階の人に話をしに行こう。一緒に行く? それともおれ一人で行ってこようか?」
「…パチさん行ってきてくれる? でも変な人だったらどうしよう。…ねえ、絶対喧嘩とかしてこないでね」
「大丈夫だよ。っていうか、我慢し過ぎるとつい”いい加減にしろっ!”ってなっちゃうじゃない。おれ、それが嫌なの。だから、早めに言って"困ったなって思っている"ってことを伝えてくるよ。大丈夫だよ。トラブったらとっとと引っ越そう。そのためにいつでも引っ越せるUR物件を選んだんだから。」
帰宅すると、騒音は鳴り止んでいた。
できるだけ人の良さそうな顔をして
おれは上階に向かい呼び鈴を鳴らした。。出てきたのはおじいさんで「あっ!」って顔をした気がした。
「あ、下の人ですか? …うるさかったですか?」
「…はい。私も妻も、ちょっと家にいるのがつらいレベルだったもので。お伝えしておいた方が良いかなと思いまして。」
「娘が孫を連れて泊りに来ていて、昼ごろ帰ったんでもう大丈夫です。やっぱりそうでしたか、たまになもので。。。注意するようにします。本当にたまになんで」
申し訳なさそうにそう言うおじいさんに、まあちょっと気にかけていただければそれで…なんて言って、おれは精一杯人の良さそうな顔をしたまま家に帰り、カミさんに伝えた。
2週間後の土曜日の夕方
同じことが起きた。翌日の朝も同じことが起きて収まる気配はなかった。
昼前に、おれは上の階に行った。今度はおばあさんが出てきた。「あっ!」って顔をした気がした。
薄っぺらいレースの後ろで小さな子どもが「ねえおばあちゃん早く遊んで早く遊んで早く遊んで!」と大声を出しながらおもちゃの車に乗っていた。お母さんらしき人が一瞬こっちを見て、そのあとは2度とこちらを向こうとはしなかった。
「この団地は古いし、騒音がひどいって有名なのよ。知らなかった?」おばあさんはいきなり言った。
「そうなんですか。知りませんでした。でも、ちょっとあまりにもすごいので、少し気にしてはいただけないでしょうか。」
「だからね、この団地はそういうつくりなの。私たちも気にはしているから、これ以上はどうにもできないわ。無理なの」
「いくらかでも気にかけてもらえれば違うかと思うのですが…」
「これ以上音を出さないなんて無理なの。聞けないし約束できない。無理、どうにもできないわ。」
「おばあちゃん! まだー早く早くっ!」
叫んでいる子どもと目が合った。奥から出てこようとするおじいさんの腕を、お母さんが掴んでいた。
「どうしても無理なの。ここは騒音がひどい造りの団地なんだから。どうにもできないの。」
「無理なのは分かりました。ただ、下の階の者がお願いに来たということだけはお心に残して貰えませんか。」まだちゃんと人の良さそうな顔でいられているかな、おれ? そんなことを思いながら伝えた。
「無理なの…だってこの団地はね」
「分かりました。結構です。ただ困ったと言ってる人がいることをぜひご記憶ください。」
「これは…ミニカーを走らせてる?」
「これは、いすかなんかから飛び降りて走り出した。あ、止まった。」数カ月が経ち、今ではおれもなんの遊びをしているときの音か、だいたい想像がつくようになっていた。孫は今でも月に1〜2度、上階に遊びに来ている。
でも、騒音レベルは以前の半分以下だ。爆音はしても、それが長時間続くことはなくなっていた。
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「うまいこと静かにさせてやった」なんてことを言いたいわけじゃない。もちろん、老夫婦の気持ちや子どもに対する自分の不寛容さをひけらかしたいわけでもない。
今回はまあなんとなく(僕らにとっての)問題は解決したというだけの話だし、この文章を読んでものすごく嫌な気持ちになったり、おれに対して強い不快感を持った人も少なくないのかもしれない。
でも、おれが言いたいのは、我慢はあまり長くせず、早い段階で「文句」としてではなく「意見」や「気持ち」として伝えることが、関係者全員にとって良いことなんじゃないかとおれは信じているってこと。
あーでもないこーでもないって考えているうちに、相手だったり自分だったりにひどくムカついたり、頭の中でどんどん酷い事態を想像したり。
そんな風に考えすぎないよう、早めに、直接。そしてうまくいかなければ、また次のアクションを考えればいい。
これは、今年2月にデンマークに行ったときにも、強く感じたんだよね。
■ デンマーク × 働きかた – イベントレポート
子どもの頃から学生時代まで、団地暮らしで最悪の騒音問題をたくさん生みだしてたおれが言うかって話なんだけどさ。
Happy Collaboration!