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点検協力依頼 | レッテル貼り、揶揄、不適切

「気候変動が引き起こす問題に関心があるか」と問われ、ノーと答える人はほぼいないと思っています。
では、「COP29に関心があるか」はどうでしょうか。前の問いよりノーと答える人がぐっと増えると想像するのですが、どうでしょう。

ここで1つお願いがあります。
筆者を知る人は、その印象や日常の言動を一旦忘れていただき、下記の記事をまずは読んでいただけないでしょうか。

読んでいただいた方、ありがとうございました。

その方たちに、引き続きもう1つ、いや2つ、問わせてください(お願いが多くてすいません。でも、どうかよろしくお願いします。)。

上記記事は、「気候変動を止めよう」という意思のもと活動している人たちを、批判し、リベラルというレッテルを貼り、揶揄している、不適切な記事と思われたでしょうか?
上記記事は、分断や思考停止を招いてしまう恐れが高い、不適切で削除されるべき対象だと思われたでしょうか。



筆者の筆力不足が否めず、メッセージがはっきりしないものであることは間違いないと思います。そしてそもそも、「メディア向けCOP29報告会」という場の捉え方が違うんじゃないか? と思われる方がいることも理解できます。

ただそれでも、COPに関する情報が昨年と比較して減っていることに危機感を持っている(市民)ジャーナリストが、「もっと多くの情報や深掘り記事をメディアに発信してもらえるように」と開催されたメディア向け報告会に参加したら、そこで聞いたことや感じたことをメディアに寄稿することに、違和感は感じない方が多いのではないでしょうか。

そしてこの記事の寄稿が、「メディアをつくる側もえらぶ側もお互いに責任を持ち、公平で公正かつ自由なメディアと持続可能な社会の構築」に近づくことではないかと考え、それに瑣末ではあれど寄与できるのではないかと考えることにも、違和感は感じない方が多いのではないか、と期待しているのですが…(もちろん、受け取り方が千差万別なのは当然です。むしろそうじゃなかったら恐怖を感じます)。


ここで記事内に記載した筆者のスタンスを、改めて提示して、少し補足を加えたいと思います。

日本において、気候問題についての考えを話す際に必ず問われる原子力発電(所)に関するスタンス(直接聞かれることは少ないものの、発言はほぼ常にその人の原発へのスタンスと紐付けられて捉えられますよね)ですが、「化石燃料からの脱却」を強く願っています。ただし、「慎重に考えたい」とそこに至る方法については方針を決めかねています。きっと、サイレントマジョリティーの1人ですね。
なお、友人・知人には、声高に反原発を叫ぶ友人も、原発推進に納得を示す友人も、どちらも数多くいます。どちらの意見も理解できるし、一理あると思っています。

Media is Hope主催「メディア向けCOP29報告会」参加感想報告 | https://coki.jp/sustainable/esg/42897/

気候変動に興味を持ち、強い危機感や焦りを感じるようになり、情報を集めたり識者の話を意識するようになっておよそ10年——。
気候変動について考えることが、私たち個々人のライフスタイルの見直しと、現代の日常生活の基盤となっているエネルギーを取り巻く社会・経済構造について考えることと非常に近しい(ほぼ同義?)ことを理解するまで、さほど時間はかかりませんでした。
そしてとりわけここ日本においては、化石燃料を中心に据えたエネルギー経済からの脱却を考えるには、どう原子力発電を位置づけるのかが大きな争点であることも、すぐに見えてきました。

そうした中で、筆者が最も強く感じていたことがあります。
それは専門家の意見を尊重しながらも、それを100バーセント正しいものなのだから、自分のような素人が意見を出す必要はないと考えてしまうことの危険性です。
そしてそれを、「その方がよいこと」と(もはや無意識に近いところで)納得している人の方が賢く合理的で、「社会はそういう人が多い方が上手くいく」という考えが当然となっていく社会への不安です。

それに対して、筆者はこう考えています。
自分の現時点の意見を、よりオープンに表出化できる社会を作っていくこと。そして時に間違っているかもしれなくても、他者の意見をしっかりリスペクトした上で、現時点における考えや疑問や違和感をしっかり伝えていくという行為が、遠回りに思えるかもしれないけれど、できるだけ新たな課題を生み出すことを避けつつ、感情ではなく意思や意識を中心に置いて課題に向き合うことではないかと。

自らタブーを作り、それを内面化した行動習慣(リスクがありそうなことには一切近づかない)が社会にスタンダードとして完全定着してしまえば、さまざまな「現状」を転換するのはますます難しくなっていくのではないでしょうか。
エネルギーについて皆で考え決断していく道筋に、メディアがしっかり寄り添っていくには、こうしたスタンスからのアプローチもあってよいのではないかと追うのですが…どうでしょうか。。

  • 「日本の気候報道の多くが『大本営発表』的なものを批判的に見ることがない」

  • 「財界の影響を色濃く受けた政府の「御用聞き」に終わってしまっている」

  • 「大本営発表に反する意見は、さまざまな圧力がかけられた挙句、自主規制される」

——これが100%の真実なのかは分かりません。ただおそらく一定レベルの真実があるのだろうなと筆者は思っています。
いずれにしろ、これが事実であろうと噂でああろうと、「圧力をかけ自主規制させる」という行為が存在するのであれば、それが言論の場や人びとの対話の場を息苦しいものとすることは間違いないでしょう。
そしてそれこそが「現代日本のエネルギー問題」を作り上げてきたのではないのでしょうか。

「他者の意見を訊ねる前に、まずは自分の意見と行動を再考されてみてはどうか」。そんな意見もいただいていました。
そこから5日間ほどではありますが、自分なりにしっかりと再考してみたつもりです。
その上で、皆さんの意見を聞いてみたいと思っています。あの記事とこの記事、どう思われますか?

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