見出し画像

役にたたなくてもいい場所と役に立ちたいおれと

「多様な人と働く中で、あなたが「ときめく」瞬間って?」
「相手の役にたてたと、あるいはたてたんじゃないかなと思えたとき。」
阿部さんに投げかけられた問いに答えながら、この1週間つらつらと脳みその奥の方で小さく、だけどずうっと考えていたことがドンと大きく広がっていた。


「そりゃ誰かのお役にたてれば誰だって嬉しいものだよ。でもさ。」
「だからっていつでもどこでも『役にたとう』としなくていいんだよ。たってもいいし、たたなくてもいい。」
「本当のことを言えば、すべての命はそこに存在しているだけでもう役にたってるんだから。」
先週、中洲の「役にたたなくてもいい場所」の帰りに、フィッシュさんに言われた言葉がリフレインしてた。

「そうか。改めて考えてみれば、おれはいつも『自分が役にたつ方法』を探しているんだな。でも、意識的に、努力して探そうとしているわけじゃないんだ。」
「むしろ『役にたたないままでそこにいる』ってことがどういうことなのか……それが、おれにはよくわからないんだよ」
「だって、誰かと一緒にいたら、自分の存在をポジティブにその人に捉えて欲しいって気持ちが出てくるじゃない? …そうすると「どうすればこの人のお役に立てるだろう?」って、無意識に探してしまうんだ。
…でもこれも「言われてみれば」で、今初めて、そうしている自分に気づいたよ。」

みんなはいつでもどこでも役にたとうと思っていないの? 本当に?? じゃあどうすれば、おれも「役に立たなくていい」と思えるのだろう?
…いや待てよ。じっくり考えてみれば、たしかに「役にたたなくてもいい場所」と「役にたたなくてもいい関係」はおれの中にも存在しているな。
家でかみさんと2人のとき。お姉ちゃんと一緒にいるとき。あとは…おふくろが生きていて元気だった頃はおふくろと一緒のときも。

そしてどうして、「自分は役にたつ人間です」とおれは周囲に思ってもらいたいのだろう? その根本はどこから??
「役にたつと証明していなきゃ、要らないと、邪魔者だと思われてしまいそうで怖いから」——うん。たしかにそれは少しある。その恐怖は今もおれの中にちょっと残っている。
「自分の存在を許せるから」——そう、これは結構大きい。昔、自分が嫌いだった頃のおれは、自分の存在を許す理由をいつも探していた。
でもやっぱり一番なのは、「役にたっている自分が好き」だからだ。
自分を好きでいられると気分がいい。おれは自分を「いい奴だ」って思いたい。それには実際にいい奴でいないとね。

「…そっか。でもねパチさん。パチさんがどんなに頑張っても解決できない問題は存在しているし、役にたてないときだってあるんだよ。」
「『役にたとうとすること』はいいことだと思うよ。尊いと思う。でもね役にたたないときもある。そして役にたたなくてもなんら問題ないんだよ。たたなきゃ『いけない』わけじゃない。それは忘れないでね。」
ちょっと酔いもまわっていたし、他にもいろいろおしゃべりしたから、全部はちゃんと覚えていない。
でも、そんなふうに言ってもらった気がする。


今日、就活イベントで大学生たちに「どうしてこれまでワイルドな選択肢を選んでこれたんですか? 怖くなかったんですか?」って質問をもらった。
「最初は怖かったけど、慣れちゃうもんだよ」なんて答えていた。

でも話しているうちに、本当の理由を思い出した。
おれは、自分をまた嫌いになってしまうことが一番怖いんだ。だから、今だけじゃなくて、5年後の、10年後の未来の自分が、「こいついい奴だな」「こいつの選択、応援したくなるな」って思う方を選ぶようにしていた。気づいたら、今はそれが無意識のクセになっている。
役にたっているおれは、未来のおれが好きなおれなんだよ。応援したくなるおれなの。だからなんだ。

でもね。うん、たしかにそうだ。
役にたたなきゃいけないわけじゃない。なんでも解決しようとしなくてもいいんだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?