カオスを愛していると思っていた
昔からずっと、カオスをおれは愛していると思っていた。
複雑で混沌としていて、でもすごいパワーと可能性を秘めているカオス!
不規則で予測できない変化を起こし続けていて、コスモス(秩序)からは発生し得ないイノベーションやハプニングが生まれる偶発性に溢れているカオス!!
カオス万歳!! 万歳カオス!!
でも、ふと気になってじっくり見つめてみたら、どうやらおれは本当はカオス自体を愛しているわけじゃなかった。
どこにも所属・従属・付属しない、枠の中に収まらないカオスという状態を愛してやまないこの気持ちは……この気持ちは…愛ではなく恐れから生まれていたのだった。
整理された秩序ある空間や状態に置かれてしまったら、どこにも所属・従属・付属できない自分の「何者でもなさ」があからさまになってしまうという恐れから。
「何者でもなさ」と対面することを恐れて続けていた若かりし日のおれは、それを深層に沈めて、いろんなモノを上に積み重ねたり、何重にもコーティングを塗りたくっていた(意識してやっていたわけではないけど)。
そのうち、視界に入るのは「カオス」だけになっていき、そのうち、おれは本当にカオスを愛しているのだと、自分にも思い込ませることに成功していたのだ。
そんなプロセスが存在したことなんて、すっかり気がつかないうちに。
ここ数年で、おれは「何者でもなさ」を受け入れられるようになった。何者でもない自分。
…と書くと、カッコつけすぎというか、まだ嘘が残る感じもある。うーん。
何者かであることよりも、自分であることの方が大切だと感じられるようになったということ…かな。
自分が好きな自分でい続けられるようにすることの方が、何者かであることよりも重要だと思えるようになったし、何者かであるかどうかは、自分自身でどうにかできるものではないって理解できた感じ(キレイに聞こえすぎて…なんかちょっと嫌だけど、まあでもこの感じ。それに自分が「何者かである」って感じている人間って鼻に付くし、何者かでも何者かじゃなくもなく自分でいたい!)
ということで、おれはただカオスが好き。
だから、カオスが失われていくことにも耐えられるし、無理にカオスを延命する必要も感じなくなった。
もっと自然に、次のカオスがやってくることを、楽しみに待てる。
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