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「つなげる」人への違和感

人や組織を「つなげる」のが「好き」とか「天職」とか「息するようにしてる」とかって、思ったり言ったりするのはもちろんその人の自由なんだけど、それを見聞きするたびになんかもやっとするものが胸に広がる——そんなことをここしばらく感じていた。
今、ちゃんと考えたら「つなげる」への違和感がようやくわかった。あースッキリ。

おれには、「つな"げ"る」ってなんか偉そうな、上からっぽい言葉に聞こえるんだ。
「あなたは『つな"げ"る』って言うけど、『つな"が"る』かどうかは当事者が判断することですから。」って。

これは昔「エバンジェリスト」って肩書きに「なにそれ? なんで説かれたり告げられたりしなきゃいけないの? そんなのされたくもないし、したくもない」って思って、「エナジャイザー」という肩書きを自分で付けたときと同じ感じ感覚だ。
そして #混ぜなきゃ危険 というタグラインをつけて活動をしていく中で、無意識に意識してきた以下のこととも重なる:

「取り組むべきは『混ぜること』であって、混ぜたあとに、それがつながるか溶けあうか、それともすぐに分離するかあるいは爆発するかは、コントロールできることじゃない。
だからこそ #混ぜなきゃ危険 なのだ。できることは、場や機会を作り増やすこと。その場におけるエネルギー値(摩擦熱)を高めることだけだ。」


こうやって考えると、「イノベーション」にも似ているね。
起こすことはできない。でも、起こりやすくすることはできる。

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