見出し画像

宇宙人な母。そしてワイ

コロナも私の日常3-85
85日目 6月19日(土)

傘を差すべきか差さないべきか迷うくらいの微妙な雨が降っている朝。一仕事を終えて、ふうと息をつく。彼女の家へと向かう。

こんな雨の日には、青空が見たいなと思う。でも雨の匂いも嫌いじゃない。今はマスクで嗅ぎたい匂いも満足に嗅げない時代になってしまったけれど。そういえば、人間の五感の中で嗅覚が一番大事だと母も言っていた。匂いに鈍感な人は、いろんな物事に目覚めてない傾向にあるらしい。母の言うことは難しくて私の頭では全ては理解できないけれど、言いたいことはなんとなくわかった。おばあちゃん(母の母)はそれこそ匂いに鈍感で、明らかに雑巾臭いタオルを鼻にくっつけても「全然臭くないわ」と言ってしまうような人で、まあ面白いんだけどのほほんと呑気に生きていて、匂いに過敏な母とは正反対である。コロナで嗅覚を失ってしまうのは、そういう意味では致命的なのかもしれない。猫舌も、食道や内臓が熱さでやられてしまうのを防ぐためにあるものだし、猫舌の人の方が防衛本能的には優れているのかもしれないなあと思ったりする。

なんかいつもこうやって話がいつの間にかどんどん展開してしまって、自分の思っていた方向からどんどん逸れていくのだけれど、まあ書くと言うのはこう言うもんかと割り切ることにする。うん、それがいい。元々誰にも見られなくてもいいようなただのコロナ禍での日常を記録するための日記だし、自分の雑念を言語化するための雑念置き場に過ぎないし、言いたいことがあっちこっちに散らばってしまってもまあそれはそれで味があるかもしれない。今日も自分を褒めていこう。

彼女とお喋りしてふざけて、喧嘩して少し泣いて、お昼寝(?)をして過ごす平和な日。こういう素敵な瞬間のために私は生きているんだと感じる。特に面白くもない毎日でも、嫌なことが続く日でも、それでも自分が楽しい!嬉しい!好き!とココロオドル瞬間が待っていると思うからこそ今日も生きていけるのである。人生って究極そんな感じだよね。でもそのココロオドル瞬間を、人からによるものだけじゃなくて、自分の内側にも見つけていければ最高だなと思うんです。そういう人に、私はなりたい。いや、なる。

私の母はまさにそういう内側に楽しさを見出せる人で、1人でも全然楽しく生きている人で、というかむしろ1人でいる時の方がイキイキとしている人で、日々新しいことを学ぶことが楽しくてしょうがない!という少し世の中の常識には当てはまらない人である。変人というか天才なので、人と話していると自分の知っていることばかり話されるのにそれを知らない体で合わせないといけないので疲れるし、そんな自分にも嫌気がさしてしまうらしい。友達できんやろ、と思うけれど意外にも沢山いる、というか色んな人から慕われてリスペクトされている。まあ、気持ちはわかる。あと、人が何かを言う前にその言おうとしていることが聞こえてくるらしく、小さい頃は「なんでこの人は同じことを2回も言ってるんだろう?」と思っていたらしい。すごすぎ。今も地味に聞こえる(というかわかる)らしく、私が「ねえね」と切り出しただけで「おっけー」とエアコンをつけたりする。人の気持ちがわかるというより、聞こえている。怖い、隠し事できない。などと怯える毎日である。

ああ。やっぱり母は、宇宙人だと思う。

おやすみ。

いいなと思ったら応援しよう!