何者かにならなくても別に
コロナも私の日常3-95
95日目 9月1日(水)
本当は8/17(火)に投稿するはずだったこの日記も、下書きのまま眠り続けて気がつけばもう9月になってしまった。早すぎてびびる。特に夏らしいこともしないまま、8月が終わってしまったなあという気持ち。
でも、何でもないような日々の中で幸せを見つけていくことに、そろそろ慣れてきたような気がする。
社会人として働いてみて、楽しいことも、嫌なことも、嬉しいことも、同じくらい降りかかってくるし、他人と比べて勝手に落ち込むこともある。それでも、毎朝きちんと起きて働いて食べて寝てと暮らしていけるのは、他でもない周りの人たちのおかげなんだなあと当たり前のようなことを改めて実感している、そんな日々。
この間、副業でライターでもするかと思って少し本を読んだりして勉強してみた。でも、全然ライターになりたくないわ〜ということがわかっただけだった。ライターのように、ある程度のパターンの中で文を構築していく、という他人に向けて書かれた文章を書くことに1ミリも面白さを感じられなくて、やめた。
きっと私はどっちかというと自分のために書く方が向いている、というか好きだ。今みたいに、別に誰のためでもなく自分のために好き勝手書いている方が、圧倒的に楽しい。自分のために書いたものが結果的に誰かに響けばそれはそれでとても嬉しいな、というくらいで。まあそういう人はきっとごまんといるんだろうな、と思うけれど。でもそう思うと、何だかとても納得がいった。
中高生の時に書いた小説もどきみたいなやつの下書きを先日発見して、その年にしてはなかなかやるじゃん、というくらいのクオリティの物語を量産していたあの頃にも合点がいく。忘れてたけど小学校の卒業式で無理矢理言わされた「夢」は、なんとなくで選んだ小説家だったな。
まあ結局、何がしたいかなど未だよくわからないままである。大人になったらわかるかな!なんて思ってた無邪気な昔の自分に言ってやりたい、時間は解決してくれないよ、って。
それでも、なんていうか、ずっとずっと何者かになりたくてもがいていたような気がするけれど、別に何者にもならなくていいな、と最近では思える。人生は所詮ゲームのようなものだし、私はマリオにもピーチにもクッパにもなり得る。別に一つに決めなくても、いろんな要素があっていいじゃない。何者であるかなんて誰にもわからないのだから、探し続けるためにいろんなことを経験して死んでいくしかない。それでいいと思える。「いいな」を手当たり次第試していけばいいじゃない、と勝手にひとり納得して今日も会社へと向かう、そんな朝。
さあて、今日も一日頑張るかあと電車の中で喝を入れつつ、ひと眠りする体勢に入る。
ああ。今日も頑張ってる!生きてる!えらいぞ、私。
おはよう。