役所の人事ローテーションのせいでダメになる施策ってたくさんある
こういうこと、よくありませんか?
ある社会課題を解決しようと、やる気満々の公務員Aさんが頑張る
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解決のための施策実行が決定され、Aさんが担当になる
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役所とパートナーの民間団体が上手く連携して施策を実行していく
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Aさんが人事異動になり、やる気のないBさんが担当になる
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Bさんは面倒なので主体的に関わらず、民間団体に丸投げ状態になる
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Bさんは、何か不都合なことが起こると民間団体に責任転嫁する
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熱意のある民間団体も嫌気が差して連携解消
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せっかくの施策がグズグズになる
つくづく思うんですよ、役所の人事異動というか人事ローテーションってつまんないなって。
■ 属人的はダメと言うけれど
よく言うじゃないですか、属人的ではダメだって。まあ一見正論ですが、本当にそうですか?
程度にもよりますが、私は必ずしもそう思いません。
だって、余人を以って代えがたいということもあるじゃないですか。
やっぱり、ある事象とか課題に精通して熱意もある人間が担当するのが一番だと思います。
どうしても属人的がダメなら、特定の人物に偏らないように、ある事象や課題のスペシャリストを育成してはどうでしょう。
属人的ではカウンターパートと癒着が起きやすいと言うなら、しっかり監査できる体制にしてはどうでしょう。
■ 全くやる気の無いのも悲劇だが、中途半端にやる気のあるのも悲劇
では、例に挙げたように全くのやる気の無い人が担当になるのも悲劇ですが、中途半端にやる気のある人が担当になった場合はどうでしょう?
私の経験上ですが、これも悲劇です。
なぜか?
それは、謎のやる気で「オレが考える最強の解決策」を思いつき、場当たり的な施策を打ってしまうからです。
これは始末が悪い。
なまじ毎年定例の施策として予算化されたら目も当てられません。
成果が出ないまま数年間放置され、効果が出ない=その課題に取り組んでも成果が出ない=その課題は後回しとされるおそれが大だからです。
■ 何かのスペシャリストに対する評価が低い
公務員は人事ローテーションを行うことでゼネラリストを育成したいように見えます。実際、役所ではゼネラリストにならないと評価されないとも聞きます。
つまり、何かの事象、課題についてのスペシャリストになることへの評価が低いわけです。
こんなんじゃ、本腰を入れて社会課題を解決しようとする人が育つわけないですね。ある事象や課題にやる気を持って取り組み人なんて、ただのもの好き扱いにすぎません。
■ 結局、少子化問題への対策がアホなのとかも人事ローテーションが問題では
少子化問題への対策が的外れだとか明後日だとか言うじゃないですか。別に少子化問題でなくても何でもいいんですけど。
これも結局こういうことが原因じゃないかと思います。
いい加減、ゼネラリスト至上主義と人事ローテーションをやめたらいいんじゃないですかね。
もっと言えば、ワン・イシューに絞って公務員として成果を出し、その解決に目処がつけば公務員を辞めて民間に行っても良い。そしてまたその後に公務員に戻っても良い。
そんな感じの自由なキャリアパスがないと現在的な課題の解決なんてできないのではないかと思います。