骨髄バンクにドナー登録してきた

やっと、骨髄バンクにドナー登録した。やっとだ。日常の諸々と忙しさに流され、「ドナー登録しよう」と最初に思ってからもう20数年過ぎていた。我ながらまったく情けない。

最初にドナー登録を考えたのは20代後半。高校時代からの友人Nが白血病になり、闘病の末に亡くなったのだ。
Nは高校時代、夏の甲子園予選ではいつも初戦敗退だった弱小野球部をキャプテンとして引っ張りベスト16まで駒を進めた。成績も優秀で地元の国立大学に進学した。性格的にも人格的にも誰からも好かれ、しかも言いにくいことをずばっと指摘したりもできる、でもユーモアもある、いわゆるナイスガイだった。
高校時代、何かといえば突きつけられる問題から逃げ、向き合おうとしない私に「おまえは優秀だけど、テストを受ける前、必死に勉強するよりも、もっともらしい言い訳を用意するのに熱心なところがある。それは絶対あかんぞ。」そう言ってくれた。その言葉は今も覚えているし、実践するようにしている。(できているかどうかはわからないけど。)

そんなNが20代中盤に白血病になった。
私はたまたまNと血液型が同じでサイトメガロウイルス未感染者だったため、血小板輸血の際には提供者として何度もNの入院する病院に通った。(白血病患者への血小板提供者はサイトメガロウイルス未感染者でなければならないが、かなり多くの人は既に感染しており提供できない。検査したところ、私はたまたま未感染者だった。サイトメガロウイルスに感染していても日常生活に特に支障はないそうだ。)
Nの病状は、短期的には一進一退を繰り返しながら、長い目で見ると悪化しているように見えた。そのうちNはクリーンルームに入るようになり、外部の人間とは面会できなくなった。

そんなある日、Nの母から電話がかかってきた。
「Nに会ってやってほしい。」
外部の人間とは面会謝絶なのになぜ?そんな連絡が来るということは、Nの病状はかなり悪いのではないのか?
予感は当たっていた。
ベッドに横たわるNは、もう立ち上がることはできなかった。肉が削げ落ちたという表現では足りないほどやせ細っていた。話すのもひどく苦しそうだ。死期が近いのは明白だった。言葉が出ない私にNが言った。
「プレステ2買ったか?」
Nなりのおどけた一言だった。こんなときに何でそんなことを言うんだ!バカじゃないか。もっと話すことあるだろう。でも話すことってなんだ?こういうとき、何を話すんだ?わからない。わからない。
「まだ買ってねえよ。買ったらウチに来い。一緒にやろうや。」
つまらない言葉を返した。
「おう…」
苦しげにうなずきながら返すN。
もう何も言えなかった。言葉を発するのが苦しそうなNにもうしゃべらせたくなかった。手を握った。Nの手を握るのなんていつ以来だろう?もしかして初めてじゃないのか?
それから数日後、Nは亡くなった。私は生まれて初めて弔辞というものを読んだ。

そんなことがあったのにも関わらず、日常の諸々と忙しさに流され、私は長い間ドナー登録しなかった。忘れてはいなかったが、頭の隅にいつも引っかかっているだけの状態だった。
そうしているうちに20数年が過ぎた。50歳になってわかったが、20年なんてあっという間に過ぎてしまう。わかったのはそれだけではない。「やろう」と思う人は多いけれど、実際にやる人はごく少ないということも。
しかしまた50歳になると、これまでできなかったこと、これから意識しないと一生できないまま終わってしまうことを思い返す。
ドナー登録は55歳がリミットだ。もう50歳だから年齢制限まであと5年しかない。5年しかないのだ。ドナー登録を考えはじめた頃に登録していれば30年近い時間があったのに。そうしていれば、もしかすると誰かに適合していたかもしれないのに。
しかし、そんなことを今さら考えても仕方ない。今できる最良のことは今登録することなのだから、今登録するしかないのだ。悔やんでも時間は戻せない。
N、もう50歳だってよ。びっくりするよな。遅くなって悪かった。言い訳はしないよ。

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