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記者会見の不毛、テレビの老い、そして変わらない人たち

フジテレビという会社が開いた二度の記者会見が、テレビ局でありながらテレビカメラを締め出したり、あまりにも長時間だったり、登場する取材者が変な人たちばかりだったりでひどかったと話題でした。

これについて面白おかしく語られていましたが、早くもその熱も冷めてきたように思えます。
これは、いろいろな意味で時代性のある出来事のように思えたのでちょっと書き残しておきます。

数字も事実も見ない人はまだまだ健在


今回のエキセントリックな騒ぎを見て、「フジテレビ、潰れるんじゃない!?」みたいなことを仰る人を見ましたが、それは事実を調べず数字を見ない人です。
フジテレビ、というかフジ・メディア・ホールディングス(以下フジと言います)は上場企業です。全世界に向けて経営状況を発信しています。だから、数字を見ればいいのです。潰れるかどうか。

一応述べておきますが、そんな簡単には潰れません。

フジテレビを含むメディアとしての事業が稼ぐ利益は年間約350億円、そのすべてが吹き飛んだとしても、フジにはもう一本の収益源があるのです。
それは平たく言えば不動産業。この事業分野が年間約352億円と、メディア事業以上に稼いでいます。

しかも、バランスシートを見ると、自己資本比率60%、純資産8696億円です。

メディア事業が不振でもすぐには潰れません。少なくとも数十年は潰れないでしょう。(だからこそ経営の実権を握る逃げ切り世代は改革をしようとしないし、だからこそPBRが0.6倍程度に低迷しているのでしょうが)

ポジティブに言うと、メディア事業の収益源の変化、収益性向上について時間をかけて取り組むことができるわけです。
個人的には、この取り組みができれば投資対象として魅力があると思うのですが、メディアは資本に対する規制が強いのでどうなんでしょうね。

まあ何にせよ、火事の熱に接して情緒的に感想を言うだけ、数字も事実も見ない人は健在だなと思わせてくれた一件でした。

その場でいきなり質問・回答の不毛さもまだまだ健在


記者会見というものについて、開く方も取材する方も、「どのように利用するか」ばかりを考えていたようでした。
開く側は、どのような態度(例えば長時間にも耐える態度)を取れば同情してもらえるかについて一生懸命でした。
取材する側は、どのような質問をすれば自分のプレゼンスを示せるか、意見を開陳できるかについてばかり熱心でした。

決して、本当にこの質問に答えてほしい、自分たちの考えをわかってほしいというものではない。

そもそも本当の意味での質疑応答をしたいのなら、いきなり対面して質問をぶつけるような記者会見ではなく、事前に質問を受け付けて答えればよいのです。

しかしこれは、今回のような記者会見だけに限ったことではありません。
ビジネスで案件を受発注する際に行われるプレゼンテーションも似たようなことが多い。
事前に企画提案書を提出しているのに事前に質問が来ない、当日のプレゼンテーションを見ただけで思いつきの適当な質問を投げる発注者、本来の意味とは別の意図を持つ「質問」をぶつける発注者…本気度が疑われるケースばかりです。

記者会見はともかく、ビジネス上でのこうした非効率もいまだ残る令和ということも感じさせてくれた一件でした。

老いたテレビ


最後に、今回の件で感じたのは、テレビは老いたということです。ネットと比較してどうこう言う以前に、テレビは老いてしまいました。

先程も述べた通り、財務は盤石で稼ぐ力もそこそこある。しかも規制業種。
経営の実権を握る逃げ切り世代にとって改革するインセンティブはない。だから従来の勝ちパターンだったスポンサービジネスを継続する。スポンサーにおもねるから番組が面白くない。

本来、フジテレビは他のテレビ局よりも面白いテレビを目指していたわけです。不謹慎と叩かれても、低俗と眉をひそめられても面白さを求めてきたはずでした。

フジテレビ、というかテレビは若いメディアでした。
かつて佐藤栄作首相が退任会見で、古いメディアである新聞記者を締め出し、テレビカメラだけに向かって語ったという出来事が示すように。

ところが今回の最初の記者会見では、逆にテレビカメラを締め出してしまいました。テレビ局自身がです。まるで喜劇です。

今、面白くあろうとすれば変わらなければならないのに変わろうとしない。しかしこれは、テレビ局に限ったことではないでしょう。これを書いている私だって、逃げ切りを図り変わろうとしなくなれば賞味期限切れです。そうしたことも感じさせてくれた一件でした。



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