ヒステリアシベリアナ
ヒステリアシベリアナは、架空の病気である。わたしがその名前を初めて知ったのは小学生くらいの頃だと思う。当時は受験といば国語に重松清がよく取り上げられていた。彼の道徳的に正当に心を揺さぶる感じは、それはもう中学生をこれから迎え入れる学校側はぜひ読ませておきたいと言ったところだろう。親も勧めるような、情操教育に良さそうな小説たち。それでいて大人もぐっと引き込まれて、たまに取り返しのつかないことに切なくなるという、また違った楽しみ方もできる。素敵な作家さんだ。
重松清の『その日のまえに』には、ヒステリアシベリアナという病気が出てくる。詳しく説明はされていなかったと思うし覚えていないが、朝日が怖いの、と女性が言う。彼女は朝日が昇るのを見て、罪悪感や焦燥感を感じるのだという。それに彼女はヒステリアシベリアナ、という名前をくれた。
色んな本を読み漁っていたわたしは、いつもこの本を覚えていたわけではない。でも、大人になって不眠症になり、鬱になり、死んでしまいたい朝を迎え続けたある日、あの小説を思い出したのだ。ちょっと小学生には刺激の強い恋の話だったはずだ。でもわたしには、夜を恐れるこの不思議でいて強烈な感情に素敵な名前がついたことに何より当時ときめいた。薄いカーテンの端から朝日が漏れだし、鳥の鳴き声が聞こえる。そんなときにわたしは、「ヒステリアシベリアナか、朝は怖いなあ」と少々芝居がかったように口にした。
病名がつくと楽になるという経験は今までメンタルの方で経験してきた。わたしがつらいのはわたしがダメだからじゃないんだと赦されたように感じて気が楽になったのだ。でも今回の気持ちはちがった。こんな辛くて美しくて、やっぱり憎いような夜を迎えている人はこの世にいて、それを言葉にしている人がいるのだと、文章を書くのに夢中だった大学二回生のわたしは心が踊った。架空の病名でも、それがなんだかミステリアスな秘密の共有みたいでむしろ嬉しかった。
今日ふと、ヒステリアシベリアナについて調べた。村上春樹も作品内でヒステリアシベリアナという病名を出したのだという。そちらでも精神系の病名として出ていたらしい。すみませんが読んだことがなく、こちらに関しては軽く触れることに。
「ヒステリアシベリアナ」を分解してみると、ロシアの「シベリア」と「ヒステリー」。日常に使うヒステリーのことなのか、精神病に関するヒステリーなのか、フィクションの病名としては推測することしか出来ないが、きっと精神的ストレスが身体機能に影響を及ぼす病気の方のヒステリーでしょう。
初めに読んだのが重松清であり、それからかなり遅れて村上春樹がその名前を使ったという事実は勿論変え難いが、そのほかにもこの名前を出した作家がいるようで、誰が初めてとはわたしには調べきれませんでした。しかし、わたしにとってのヒステリアシベリアナは「朝に向かっていく夜が怖い」あの苦しい時間を表すものです。存在もしない病名に救われた夜があるなんて、作者も想像しなかっただろうなと思いつつ、本とその作者に大きな感謝を。
小説は、フィクションは、それぞれの人に正解があってそれが素敵。わたしもいつかヒステリアシベリアナについて何か書いてみたいと思った夜です。眠れなくってね。