米を炊くという概念が消え去りつつある話
炊飯器を床に置いていると友人達の間で話題になっている私のお通りだそこをどけ。
やあやあどうも私です(オレオレ詐欺の類いの香り)。
私ですよ、分かります?
私です(分からんわ)。
まあ私なんですがね、炊飯器で米を炊くという概念がなくなりつつあります。
やばいです。
えらいことです。
日本の恥です。
まあ米ね、だいぶ前は炊いてたのよ。
でもね、だんだんお米を研ぐっていう作業がめんどくせー、あークソめんどくせーってなってね。
今ではサトウのごはんよ(いつもありがとうございます)。
レンジという便利な道具が現れてしまったことにより炊飯器とガスは完全にお役御免となった。
そして炊飯器は虚しく床に。
いや昔はこの炊飯器も丸イスにちょこんと乗せられご飯を炊くという役目をしっかり果たしていたんだよ。
だが今はどうだ。
床の上にしっかり鎮座している。
存在感はいっちょ前だ。
これは何人かの友人にも言われた。
「いや炊飯器を床に置くのはないやろ笑」
こんな具合に。
でもまあ仕方がない。
炊飯器を置く台がなくなったのだから(買え)。
いやいや昔炊飯器を置いていた丸イスは一体どこへ行ったんだって?
あの丸イスはあれだ、炊飯器よりも実用性があると私からのお墨付きを貰って、ベッドの横に異動となった。
ドラマの相棒なら、1人欠けたら一大事というところだが、丸イスと炊飯器が離れ離れになったところでただの丸イスと炊飯器である。
私は今、人間として恥ずべきことをこんなにも堂々と吐露してしまっているわけだが、このnoteを書いていたら、私ももうちょっと炊飯器を大切にするべきだなァと思えてきた。
これはだいぶ大きな効果だ。
とりあえず炊飯器君を丸イス君と同じ部署に異動させよう。
そして2人はそのまま私のベッドの横に個性的なインテリアとして置かれる予定だ。
そしたらいつか、友人達も「せりなは枕元にオシャレな炊飯器を置いている」と褒めてくれるかもしれない。
炊飯器が持つインテリアとしての才能を爆発させる役目を、私は背負っているのである。