見出し画像

グロ

中学一年生から高校二年生まで過ごした友達がいた。何をするにも一緒だった。大好きだった。

彼女とは保育園の頃から友達で、昔から仲は良かったけど、中学の部活が同じになってからは特別仲良くなった。私は家族が精神的に不安定でご飯を食べさせて貰えないことがあったから、部活が終われば彼女の家へ遊びに行きご飯を一緒に食べたり、中学三年生の頃は部活を引退して受験に向けて塾に通っていたけれど、塾の帰りに母に嘘をついて彼女に会いに行き時間が許す限りずっとずっとお喋りをしていた。あまり人に心を開くことの無い彼女が私にだけ秘密を共有し、私を「親友」と呼んでくれる。私を取り巻く環境を構成する殆どが終わっていたけど、彼女が私を「親友」とよび、彼女が側にいてくれる。私はそれだけで生かされていた。私は彼女のことが本当に本当に堪らなく大好きで彼女が私の全てだったが、大人になる彼女は別の生き物のようで私はいつも不安だった。

高校へ上がり、彼女は壊れた。高校は別々の所へ進学し、それでも週に一回は絶対にあって、お互いに近況報告をし合う。いつもLINEで話しているのに話が尽きなくて一緒にいるのはやっぱり楽しかったけれど、夏が終わる頃には彼女は別人のようになっていた。真面目で男っ気のない彼女がネットで知り合った大学生に処女を2万で売り、話を聞く限りは2回ほど援助交際をしていた。それからというもの、どんどん彼女の行動はエスカレートし、ひま部で知り合った20歳すぎのフリーターに恋をして、初めてオフであった日に彼女がホテルへ誘ったと言っていた。彼女に生かされていた私は、いつでもどんな時でも彼女の1番の理解者でいなければ自分に存在価値が無いと思っていたから、16の私が出した最善策が自分も彼女と同じくなって、どんな形でもそばに居ることだったけど、私にはできなかった。ただ「もうしないで、お願い」と縋ることしか出来なかった。

彼女に最後に会ったのは高校二年生の夏休み前。お酒を覚えた私達はぐちゃぐちゃだった。私は3ヶ月ほどたってもなお彼女に縋り続け、あれから援交はしなくなったものの考えの変わらない彼女に期待していた。知らない男と寝たって満たされるものは無いし、あなたを必要としている人がここにいるよと訴え続けていた。またいつものように朝方までこの話し合いをして、ある時彼女が折れた。「もうしないよ大丈夫だよ」と。私はえらく上機嫌で、やっと私の知っている彼女が帰ってきてくれた気がして嬉しくて、朝の7時前でどこもカラオケなんて空いているわけが無いのにべろべろで手を繋いでカラオケいこうねって川崎へ繰り出した。彼女は私の気など知らず、上機嫌にまた新しいネットで知り合った好きな男の話をする。私はにこにこ幸せそうな彼女の横顔を見て死のうと思った。
お酒を買い足しに寄ったローソンでトイレを借りて、彼女に手を引かれ2人で個室へ。狭いトイレで私の手を強く握りながら彼女は放尿をし、「私、陰毛濃いかな?形へん?」と聞かれ、目を逸らしながら私は「少し濃いかもね」とだけ答えた。

川崎の銀柳街にあるカラオケを全部回ったけど、もちろん空いているところなんてあるわけないから、体重も身長も一回りほど小さな彼女を休み休みおぶって歩く。彼女のことが可愛くて守らなきゃってずっと思ってた。私だってフラフラでどこをどう歩いたかなんて覚えてないくらい酔っていたけど、彼女のことはしっかり家へ送り届けた。最後に会った彼女の母親は、朝帰りをした娘を困った顔で叱りつつ、「こっちゃんおうちまでありがとう」とお礼を言った。私は帰り道、スマホを開いたら母から58件着信が入っていた。私は3週間後に彼女の連絡先を消した。

縁を切ってからおおよそ3年ほどたった。ほんの少し前まで彼女が夢に出てきて、いつものように2人でお散歩をしていて「こっちゃんごめんね」と何度も仲直りをした。でももう顔も声も思い出せない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?