Rose
大好きな大好きな大好きな彼氏と喧嘩する夢を見た。夢の中でも私は意地っ張りで本心を隠し続けた。
もう会えないかもしれないと思うと苦しくて、いても立ってもいられず、友人と過ごす時間は完全に上の空だった。
彼のために作ったRoseという曲も忘れて日々私は何をしていたんだろうか。彼を見送ったときHave a nice dayときちんとハグをしただろうか。
あの温もりに触れることは、もうないかもしれない。あの匂いに包まれることもないかもしれない。あの笑顔も、困った顔も見ることは叶わないかもしれない。
相変わらず、うんざりするほど誰にでも優しい彼は、周りの人間にすごく愛されていることが、どこにいても皮膚を焼くようにジリジリと伝わってくるのが嫌だった。私は知っている。あの子も、あの子も、あの子も、みんな彼のことが好きだ。ハイエナのような視線でいつも牽制し合っているのだ。
可愛げもなく、オシャレでもない、完璧主義で潔癖症で、ネガティブの塊のような醜い私になんて愛想が尽きて、遊びに行った先で、帰れないことを理由に、心も体も綺麗な誰かと恋に落ちてしまうかもしれない。
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「仲直り、しなよ。怒ってたよ、あれは絶対に。流石に今回は、お前が100悪いよ。うちらは、わかるよ?お前のその謎のこだわり。やれと言われたから、完璧にこなさなければいけない。誰にも頼りたくない。誰にも弱いところを見せたくない。服も髪も顔面も匂いも声も、何もかもが完璧に整わなければいけない。どれか一つでも欠けたら、自分が自分では無くなってしまいそうで、虐げられるかもしれないのが怖くて、行きたくても行けなくて、触れたくても触れられなくて、誰とも接したくないとか。普段と何一つ変わらないし、もうここには、そんなことする人、いないのに。」
「第一、そんなことを気にするような人じゃないでしょ、彼は。他の人に奪われるよ?愛想尽かされたら終わりだよ?崖が崩れる前に、迎えに行こう?そして仲直りしよう?うちらも行くからさ。あんなにお前のこと優しい目でみるやつ、もう現れないよ?相手できるやつも現れないと思うもん。フォローしてやるから、ちゃんと、ごめんねしよ?」
ゴツゴツした岩肌を移動する車中は不安しかなかった。細く険しい螺旋道路。降るたびに変わる景色、四季、音楽。どれも、私の心を映しているようだった。
「ティムがいるわ!止まって!彼らと一緒にいるはずなの。あぁ見えない、彼がいないわ!」
急停車した車から転がり落ちるように、ふらつきながら駆け寄ると、困ったような笑みを浮かべた彼が立っていた。
本当に立っているだけで、いつものハグもなければ、頭上に落とされるキスも、頬を引き寄せる骨ばった指先も伸びてこない。
「来ちゃった!」
「わかってたよ。髪、切ったんだね。」
いつものように、無邪気なふりをして前髪を押さえる
「うん」
「似合ってるよ」
「可愛い?」
「、、うん」
絶妙な距離感と間に居心地の悪さを覚え、嫌な汗が流れる。世界中の人が可愛いと言ってくれても、彼が可愛いと思わなければ、私の中での可愛いも完璧ではなくなってしまう。鏡、鏡はどこだ。何がいけない?メイクがよれてる?分け目が数ミリズレているのか?貼り付けた笑顔が美しくないのか?
うるさい胸の鼓動、すぐにでも隠れたい衝動を飲み込み、震える声を振り絞って、彼の手首を掴んだ。
「好き、、じゃない?」
「可愛いよ、大丈夫」
バツが悪そうに落とされる視線に、500mLの未開封のペットボトルで後頭部を殴られ続けた日の事を思い出す。好きの二文字は、かつて、こんなに重いものだっただろうか。
「頑張ったよ、お掃除」
「うん」
「お洋服も見て、ちゃんとした」
「うん」
「怒ってるよ、、ね?」
彼の視線が鋭くなる。
「何でそう思う?俺が何に怒ってるか、本当にわかってる?」
「助けてって言わなかった」
「うん」
「嫌だったけど、嫌って言えなくて、イライラして、それを隠したくて逃げた」
「そうだね」
「ちゃんと理由を説明しなかった」
「うん」
「他の子との親密さを見せつけた」
揺らぐ視線、滲む世界。手のひらに押し付けた爪の痛みがなければ気絶していたかもしれない。
長い沈黙だった。点を見上げて、鼻と口元を両手で覆った彼の気持ちが、私にはどうしても読むことができない。他の人の望みは、声を聞けばわかるのに、彼の思考だけは、どう頑張ってもわからないから不安になるのだ。
「やっと気付いたんだね。寂しいし、悲しい気持ちになるよ。君の気持ちや理由を話してくれずに逃げるその癖も、疑念を抱かされるのも、それは、返事をせずに無視するのと同じことだから。」
「ごめんなさい、本当に。」
心からの謝罪だった。もう終わりだと思った。私なんかいなくなれば良いんだとさえ思った。
だが、彼は違った。私の手を取り、指を絡めた。あたかも何事もなかったかのように、優しい声音で、私を包んでいく。
「わかればいいよ。さぁ、行こう」
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「お客様、そろそろ湯浴みが最後の時間になります」
「あぁ行かなきゃね。でも、最期に少しだけ、君も食べるかい?」
美しく整った顔は、醜く老けて、細かったはずの体は、ボヨボヨのヨボヨボでシミだらけだ。
綺麗に食事をするところが大好きだったのに、スプーンには食べ残しのソースがへばりつき、重ねられた食器はどれも汚い。変わらないのは、万人へ注ぐ優しさと笑顔だけだ。
彼じゃない。私の恋人はこんな生き物ではない。これは誰なんだ。音も違えば匂いも異なる。あぁ、この忌まわしい生物は、私に己の食べかけを喰わせようとしている。ここで拒否れば、私は殺されるのであろう。美味しいと言わなければいけない。吐きそうだ。吐いたら殺される。笑顔だ、笑顔を貼り付けなければいけない。
急いでよくわからない練物のような硬くてしなって油でギトギトして、少し甘い食べ物を口に放り込み咀嚼する。
「美味しい、美味しいよ」
「そうか、泣くほど好きだったか。おい、好きだっていうから、もっとくれないか、最期なんだ。」
「あぁ、これだけで十分です。本当に、私は。大変美味しくいただきました。」
「最期なんだから、もっと食べようよ。湯浴みは嫌でもやってくるんだから」
「そうだね、そうだよね、最期なのに」
あぁ、終わりだ。行きたくない。残飯など食べたくもない。私はまだ美しいままなのに、何故。
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Rose、あなたに捧げた曲は、こんな不気味な結末だっただろうか。年老いて変わり果てた彼のことも愛せるのだろうか。
Rose、悲しい調べだけを残して、夢は終わった。
作ったこともない曲と涙を残して。