私、たいやきA

「およげ!たいやきくん」という歌がある。
多分、ほとんどの人は耳にしたことがある、お馴染みのあの曲だ。

子どもの頃は、とくに何も思わなかったけど、働くようになってからあの曲を聴くと、なんとも言えない気持ちになる。

まず、冒頭の歌詞である。

毎日毎日 ぼくらは鉄板の上で焼かれて
いやんなっちゃうよ

およげ!たいやきくん

わかるよ!たいやきくん!
私も、毎日毎日東北の山奥に、車で通勤いやんなっちゃうよ。片道40分かかるんだよ。

しかし、文句をいいながらも、今の環境でぬくぬくしている私と違い、たいやきくんは、店のおじさんと喧嘩になり、海に飛び込むのだ。
海に飛び込んだたいやきくんの姿が、会社を辞めていった同僚や上司の姿と重なる。

たいやきくんは、広い海に心を弾ませる。
自由だ!そこには、鉄板の上にいるだけでは、知らなかった世界が広がっているだろう。
どうかこのまま、海での新生活を楽しんでほしい。
しかし、童謡なのに、この歌はなかなかシビアな現実を見せつけてくる。
たいやきくんの楽しい生活は、長くは続かないのだ。

フルバージョンで聴いたことがあるから、ストーリー展開も、結末もわかっているのに、私は二番の途中辺りで、海に飛び込んでたいやきくんを助けてあげたい気持ちになる。
塩水ばかりじゃふやけてしまう、の部分で、私は一人であわあわする。ダメだよ、たいやきくん、そのエビは罠だよ!

私の心の叫びも虚しく、たいやきくんは、n回目の針にひっかかり、おじさんに釣られて食べられてしまう。

たいやきくんが釣り上げられたあと、こんな歌詞がある。

やっぱり僕はたいやきさ
少し焦げある たいやきさ


およげ!たいやきくん


なんだか悲哀すら感じる。
希望を胸に大海原へ泳ぎだしたのに、やっぱり俺はただのたいやきだったのか、としょんぼりするたいやきくんの姿が浮かぶ。

ある程度生きていると、自分が無力だな、特別にはなれないな、って思い知るときあるよな。
たいやきくんの肩(魚に肩はあるのかな?)を、ぽんと叩いて、気の済むまでエビをご馳走してあげたくなる。

鉄板の上で焼かれ続ける、たいやきAの私は思う。
海に飛び込んでいったあいつは、幸せだったんだろうか。
それはわからないけど、新しい世界を冒険することができて、楽しかったのは本当だったんじゃないかな。
同じ風景の中で、人間の腹に入るのを待つだけの暮らしより、一時でも知らない世界を覗けてよかったんじゃないかな。

海に飛び込む勇気もない私は、たいやきくんに訊いてみたい。
ねえ、やっぱり飛び込んでよかったって思ってる?



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