見出し画像

『冤罪 なぜ人は間違えるのか』西愛礼氏インタビュー



「人間って何なのだろう」から始まった冤罪の研究

- 角川歴彦人質司法違憲訴訟弁護団のお一人である西愛礼さんが12月6日に刊行された『冤罪 なぜ人は間違えるのか』本をお出しになりました。
今日は、この本の紹介をしていただきながら、「冤罪」について、そして西先生ご自身のこと、角川人質司法訴訟弁護団の活動についてなど伺いたいと思います。

「冤罪弁護士」というと、苛烈な感じの眼光鋭く怖いイメージがあると思いますが、西先生ご本人はとてもほがらかで柔らかい感じで、そのイメージの差にみなさん驚くでしょうね。しかもお若い方で。今おいくつですか?

西 今は33です。

- これほど若い人が権力に対して迫っているということに驚きます。この本を読むと西さんの「熱さ」が伝わってきます。そして単に「世の中の正義を実現しましょう」とか、「警察とか検察が悪くてこうなっている」とかではなくて、西さん自身が「これは自分の問題だ」と捉えてやっているということにみなさん驚くと思います。

西 自分が法律家の中でも若い方で、経験が足りないんじゃないかと言われるような立場だというのは十分承知しているところです。その中でもこの冤罪研究ができたのは先人たちの研究のおかげで、そういったものをまとめて、読んでわかりやすく届けられればという思いでやってきました。熱意というのも自分一人だけのものじゃなくて、今まで見てきたいろいろな冤罪事件の当事者の思いとか、そういったものを背負って研究したり弁護したりしてきたので、そこを含めて、今回の本は自分だけで書いた本じゃないと思っています。

- その「皆の思いを」という部分が、西さんの熱意の源泉ですね。そういう姿勢に加えて、読者が「熱い」と感じるのは、西さんが「初心忘れるべからず」で、初心をずっと持ってらっしゃるからじゃないかと。それが冒頭の部分にもありますがプレサンス元社長冤罪事件※の山岸忍さんの「先生はどうして法律家になられたのですか」という問いかけから始まる部分に現れていますね。

西 自分が法律家になろうと思ったきっかけを書いたんですが、それは私の身近な人、知り合いが殺人事件を犯してしまったということなんです。なぜそういうことになったんだろうとか、人間って何なのだろうと考えることが、私の出発点でした。だから実際に目の前で冤罪事件が起きているのを見たときも「なぜこういう冤罪が起きるんだろう」「なぜ人質司法を法律家が作ってしまうんだろう」と考えている自分がいました。それが巡り巡って「なぜ人は間違えるのか」という視点での研究になったと思います。

※2021年10月28日、大阪地方裁判所が、大手不動産会社であるプレサンスコーポレーションの元・代表取締役である山岸忍氏に対し、業務上横領事件につき無罪判決を言い渡した冤罪事件

裁判官と弁護士、両方の立場を経験して見えた景色

西 僕が他の人と違うところとしては、司法修習終了後に判事補として働いて、裁判官の目線でも刑事事件を見てきたというのがあります。裁判官もみんな一生懸命悩みながら結論を出していて、できる限り間違えない事実認定など、日常で研鑽をしているんです。そんな裁判官たちを後押しするような知識をまとめたらすごく参考になるんじゃないかって思いました。最初に出版した『冤罪学』がそうですし、今回の本もそういう思いで書いています。

- 最初から悪いことをしようと思って社会に入ってくる人はいないし、情熱とか夢があって、みんな入ってきているんですよね。今話題になっている検察官や警察の不法な取り調べというのも、最初からそういうことをやるつもりでやっている人はいない。みんながいいことをしよう、社会正義を実現しようと思っているのに、なぜかそれが悪い方向に行って人権を侵害することになっているんですね。

西  そうですね。特に人質司法については、私が裁判官の立場と弁護士の立場の両方を見ているからこそ見えた景色があると思っています。裁判官だったときには身体拘束によって自白を強要しようとは思っていませんでしたが、弁護士として事件に関わると、自白と否認で身体拘束に差をつけられるだけで、被告人の側から見たら「今自分が身体拘束されているのは自白してないからだ」とか、「否認しているから身体拘束されるんだ」という形で、それ自体が虚偽自白の誘因になってしまっている。視点の違いが人質司法を生んでいるんだということがとてもよくわかりました。

一方で、今までの議論というのは、裁判官、弁護士、検察官各々の目線という形でしか語られなかったので、そこがどうしても食い違ってしまっていたのだと思います。一つの事象を両方の目線から俯瞰的に見るというのが、冤罪や人質司法の本質に迫る一つのきっかけだったと思っています。

今回の角川人質司法違憲訴訟の中でも、自白か否認かで被疑者の取り扱いを変えている解釈運用がいけないんだと。そういった弊害が生まれるような解釈は違憲なんだという主張をしているわけです。このような訴訟や本をきっかけに、両者の視点を繋ぐことによって、刑事司法を変えていけるようになればいいと思っています。

「人間」の土壌で対話することが大切

- 裁判官に対して「君らは人権侵害やってるよ」と説教する形で闘うと、組織防衛しようというわけではないだろうけれど、やはり人間の認知の限界から、今までやってきたことを正当化しようと頑なになってしまう。西さんはそれをときほぐして「いや、あなたもそういうことをするためにこんな長期の勾留をやってるわけじゃないですよね」と、問いかけているということですね。

西 まさにそこが角川さんがご自身の著書のタイトルを『人間の証明』とされたことにつながるのではないかと思います。
今回の角川人質司法違憲訴訟は、角川さん自身が、奪われた人間の尊厳を取り戻すという営みであるとともに、角川さんを身体拘束した側の、法律家の人間性を問い直す、そういった取り組みだと思うんです。「あなたたちが人間なのであれば、こういった人質司法はおかしいと思うはずだし、直そうとするはずだ」と。そこが今角川さんが問うている部分だと思うんです。

- 我々弁護士と裁判所、我々弁護士と警察とか、間に線を引いて「あいつらは」っていう言い方をすると、世界中で今起きているヘイトの構図と変わらなくなってしまいますね。

西 そうです。だから「人間性を取り戻して、同じ人間という土壌に乗ってこの問題を解決しましょう」っていうのが、『人間の証明』や、角川人質司法違憲訴訟の姿だと思いますし、それは、書籍『人間の証明』の中で角川さんが取調官に対して述べている「取り調べでも無駄な話をする中で人間と人間としての感触を確かめながら調べられるのがいいなというのが僕の希望でした」という言葉に表れていると思います。
『人間の証明』で、角川さんが獄中で俳句を詠むところ、好きなんですよ。人間っぽくて。それは独房の普段は何も見えない、本当にわずかな窓の隙間なんですけど、そこから月が見えて、俳句を詠むというシーンです。表紙の月のモチーフになっているのかなと思っています。

- 角川さんがご自身の本の中に俳句を入れてらっしゃるのは、俳句が得意だからというわけではなく、自分は人間である、人間であり続けたいという思いが表れているのだと思いますね。

人間だからこそ誤りを正すことができる

西 人間というのは心理的な問題として、誰でも自分の誤りに向き合うのは難しいんです。それでも向き合わないといけない。人間だから間違えますけれども、人間だからこそ誤りを正すことができたり、次に同じ誤りをしないように気をつけることができるわけですから。

誤りを乗り越えようと努力してきたのが人間の発展の歴史でした。航空安全とか診断エラーとかそういうところでは改善が既に始まっているわけで、社会一般でも不祥事が起きたときには、第三者委員会を立ち上げて原因検証と再発防止に取り組む、という風潮が進んでいます。今はまさに人間が「誤り」を乗り越えようとしている過程だと思うんです。ですから冤罪という誤りについても同じように向き合えると思っています。

従来の冤罪に対するスタンスは、どうしても追及的というか、司法の闇みたいなものとしての取り扱いになっていたと思います。でも大切なのは批判だけではなく学ぶことです。学びという次のステージに進めたいと思ってこの本を書きました。

今回の本の中では「人は誰でも間違える」ということを出発点として、認知心理学とかそういった科学的な観点から、「人はこういった形で間違うのだ」ということを説明しています。それを知ることで初めて裁判官は「自分もこうなるかもしれない」という形で自分事として捉え直すことができると思いますし、角川人質司法違憲訴訟についても、「ただ単にその裁判官の身体拘束の感覚が緩すぎるんだ」という形じゃなくて、どういう解釈によって人質司法が生じてしまうのかとか、憲法に照らしたらどういった解釈が本来は適当なのかといった議論ができると思っています。

人を罰するのではなく、システムを検証することが大切

西 例えば捏造とかの不正行為は、その人を罰したら終わりではなくて、同じような環境におかれた人には等しく同じような捏造行為をするリスクがあるわけで、それをなくすためにはそういった「環境」にアプローチをする必要があります。人質司法についても同じようなことが言えて、人質司法には、「解釈運用」というのが背景としてあるわけですよね。この解釈運用に依拠する限り、どんな検察官、どんな裁判官でも同じような人質司法を生む判断をしてしまう。だからこそこの解釈運用、刑事司法システム自体を変えないといけないんです。

今まで人質司法はブラックボックスになっていて検証されないという問題がありました。裁判官が判断している資料が裁判官以外には見えないとか、裁判官が判断した理由というのが示されなかったりして、事後検証ができなかったんです。最近、大川原化工機事件でようやくそこにメスが入って、NHKが検証の報道をして、弁護士も検証の記事を書いて雑誌やインターネットに載りました。そういう形で人質司法がようやく検証されるようになって、例えばどこで釈放すべきだったとか、どこの判断が悪かったのかを考えることができるようになりました。それが次に繋がると思うんです。

ですからこういった試みを絶やしてはいけないと思いますし、この角川人質司法違憲訴訟というのも、一つの検証の取り組みであり、議論の土壌を作るものだと思っています。

問い直すべきものは正面からシンプルに

- この本のメインタイトルは「冤罪」というシンプルなものですが、タイトルが決まった経緯を教えていただけますか。

西 いろいろなタイトルの案が浮かんできたんですけど、従来の冤罪関連の本のような、真っ黒なイメージのものにはしたくありませんでした。一方で冤罪っていう言葉は絶対にどこかに入れたい、その問題自体をきちんと伝えたいというところもありました。

そんななか、角川さんと僕の本のタイトルについて相談させていただいた後に、角川さんが十何通りか紙に書いてきてくださったんです。ちょっと紙がくしゃくしゃになってて、多分持ち歩いていろいろ考えてくださっていたんだなって思って、それがすごく嬉しかったんですよね。その中で「冤罪」というメインタイトルのものがいくつかあって、すごくストレートだなと。

この「冤罪」に元々自分で考えていた「なぜ人は間違えるのか」という中立的なフレーズを加えることで、冤罪という言葉自体の意味合いというか、冤罪のメッセージ性自体を問い直すようなものにできるのではないかというのを感じました。角川さんとのお話の中でも、問い直すべきもの、伝えるべきもの、そこはもう正面からシンプルに行くべきなんじゃないかというのがあって、なるほどって思っていたんですね。引き算の美学みたいな感じですごくいいなと思ってこのタイトルに決めました。

世代もバックグラウンドも超えたチームワーク

- 最後に角川違憲訴訟弁護団についても伺いたいと思います。毎回の会議はどのような様子なのでしょうか。

西 こういう言い方すると語弊があるかもしれないですが、会議で角川さん含めてみなさんと議論していて、すごく楽しいんですね。やはりみんな一流の人たちで、一つ一つの意見がすごく面白くて勉強になったりですとか、学びがあって気づきがある。それに弁護団の中では、僕と水野先生が一番若いんですけれども、若いからといって下に見られているかというと、全くそういうわけでもなくみんな対等に話すんです。

- 世代もバックグラウンドも様々ですね。

西 それぞれのバックグラウンドを尊重しながら一人の人間として対等に話していて、お互いに持ち寄った知見、知恵を出し合って、一つのものを解決しようという気概が弁護団の会議で花開いてるというのが僕の印象です。
チームワークの良さというのは、やはり弁護団長の村山浩昭先生のお力が大きいと思います。

多くの人の思いを背負って、世の中に発信していく

- 角川さんは五輪に関する裁判を続けてらっしゃいますけど、「この人質司法の訴訟は自分の無実を訴えるための活動ではなくて、それとこれとは別なんだ」ということを言ってらっしゃる。これは公益のためにやらなきゃいけないんだと。

西 角川さんは、「こういった経験をした人が日本にたくさんいるんだ」、「だから自分だけの裁判じゃないんだ」というお話をされていて、この裁判を通じて社会を変えるという、自分のためというよりも社会のための裁判として起こされているのだと思います。
プレサンス元社長冤罪事件の山岸さんとしても、もう二度と同じような人は出て欲しくないという思いから、今一生懸命ご自身の国家賠償請求訴訟であったり、刑事告発や付審判請求であったり、その他にもいろいろシンポジウムで登壇したり、そういった活動をされています。その思いの根底にはきっと角川さんと同じものがあって、共に頑張っておられるんだと思います。
そういった意味で、本当に角川さんは一人じゃないんですよね、山岸さんもいますし、もっと言えば村木さんとかいろんな方々が同じような思いをもとに、活動をされています。

冒頭で言ったとおり、僕は冤罪の研究をいろんな人の思いを背負ってやっているわけです。今角川さんの刑事裁判が進行中ですけど、僕は角川さんが冤罪だと思っていて、何とかそれを晴らしたいと一生懸命頑張っています。だからそういう意味でも角川さんの思いを背負って冤罪の本を出すっていうところに意義があるんじゃないかなと思ってます。こういった熱を今後少しでも多くの人たちと共有できればいいなと思っています。

- 西さんはそれを司法の場でやってらっしゃるけど、これは日本全体、人間社会全体の問題ですね。ぜひそこを対立の構図にしないでうまく変えて、良い方に変えていくようにしていってほしいと思いますね。もちろんそれには一般の人たちの応援が必要だと思いますから、ぜひそれが広がっていくことを期待しています。

西 最初に出版した『冤罪学』という本は学術書で、「冤罪に学ぶ」ことを何とか刑事司法関係者に根づかせようと思って書いたんですけれども、書いた後には法律家じゃない一般の人たちとか、学生さんとかが一生懸命マーカーを引いたりとか、付箋貼ったりとかして読んでくださっているんですね。角川さんもその一人で、僕の前にその本を持ってきてくださるときには本が結構読み込まれている状態で、一生懸命読んでくださっているのがよくわかりました。そのときにやっぱりこれは刑事司法関係者だけの問題ではないし、一般の人たちにもわかりやすく書かないといけない、みんなで一緒に冤罪に学ぶっていう取り組みができたら本当に素晴らしいことだなと思って、今回『冤罪 なぜ人は間違えるか』という本を書きました。
これから先この本とかをきっかけに、冤罪防止や救済といった取り組みが広まっていけばいいなと思っています。

この活動をいろんな人に知ってほしいという点で言えば、今人質司法の解消を求めるオンライン署名は3万2千通を超えていて、多くの人たちが人質司法の問題を知って、それを何とか変えようとしてくださっているんです。僕一人だけの思いじゃなくて、いろんな人たちの思いが今集まっている。僕の自身の思いは本当に小さな篝火だったとしても、それがだんだん灯っていく形で広がっていけばいいなと思っています。

取材協力:佐藤眞



いいなと思ったら応援しよう!