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ピーラボのできるまで その3

過去分はこちら

一商品がバズったおかげで一気に知名度は広まりました。

販路、規模の拡大

業販

今までの個人のフォロワーさんの中で、ミニ四駆のショップをされてる方だったり、フォロワーさんが行きつけの店舗さんに声かけてくださって、業販してくれませんか、とのご連絡を度々いただくようになりました。感謝です。

ただ一人でやっていたため、発送の手間等で処理できないこともあったため、お話はありがたいけど、業販をするうえでの条件を決めました。

・自身もしくは近しい友人の行きつけ、ホームであること
・原則都道府県に1店舗のみ、同一商圏に取扱店舗がないこと

他にもいくつかありますが、この条件をもとに業販をお受けすることにしました。
理由としては
同じような取り扱い店が近くにあると売上の食い合いになるのでそれを防ぐこと
一店舗のみの取り扱いにすることで特別感を演出し、自社のブランディングと卸先のブランディングにつながるということ
という「ちょっと売れたからって偉そうに…」というような条件をつけました。(今はもうちょっと緩和)

あと、どうしても商品の特性上、置いてるだけでは売れにくく(まぁ商品の魅力やネームバリューがあればそうでもないのかもだけど)、ミニ四駆のことに明るい方でないとただ置いてるだけ、になってしまうので、それならしっかりと自分が見えないお客さんにもちゃんと販売してくれる店舗さんと仕事をしたい、と思ったからです。

フリマサイトからECへ

管理や業務の効率化のために、この頃からECサイトへ移行していきました。
フリマサイトのメリットもたくさんありましたが、手数料の掛率や商品管理の方法、配送処理の簡素化など、そういった要因で徐々に移行していきました。
またちょうどこの頃から、インスタグラムも開始。これは海外でもムーブメントがあるのを知っていたため、海外勢に向けてちょくちょく発信していたこともあって、海外発送をできるようにするためにECサイトへ移行した面もあります。

委託販売の開始

自社の製品以外にも取り扱いを始めました。
ただこれはそういったツールなら何でもいいわけでなく、自分が「これは便利!」「使いたい!」と思ったような商品を委託販売という形で取り扱うことにしました。
ガイドや治具、金属製品はある程度自分のところでできるけど、電子工作などの分野には全く手が出せなかったため(開発費も捻出できないし)、自社の弱点になるところを、他メーカーさんの協力で補おうという作戦でした。

以前も述べたように、ミニ四駆界隈には実はとんでもねえスキルもちの個人がときどきいて、本業の傍ら、そういったことで耳目を集めている人が多くいます。
隠れたすごい人をみんなに知ってほしい、応援したい、というのもありましたし、自分では思いつかないアイデアだったり、設計のセンス、そういった因子を取り込むことで、自社の参考にもなるというような魂胆もありました。

それを始めたことで「ミニ四駆のツール界隈に特化したセレクトショップ」という、ありそうでなさそうなポジションを狙うことに決めました。

もうここまできたら、副業の域ではなく、事業…

タイミング

岡山イノベーションスクール

とは言っても、この頃はまだサラリーマンをしていました。
一方でこれは私のコンプレックスでもあるんですが
起業、ベンチャーなどにどこか憧れていたところがありました。

同世代や若い人たちが会社を立ち上げて、上場…などのニュースをよく見るような時期でもありましたし、どこかしらそういった人たちを羨ましくもあり、バカにもしているところがあったと思います(2ちゃん脳のコンプレックスの塊)わかんないけど

そんなとき、たまたま目にしたのが
岡山イノベーションスクールの募集

※先日9期生の募集が締め切られました。

ある程度の事業の基盤も整いつつあったころ、ちゃんと事業について学ぶこともあってもいいかもなーくらいの感覚だったのと、
ミニ四駆のツールていうニッチな業界がそういったなんか横文字多様してそうな起業スクール参加するの完全に場違いなの面白くない?という屈折した精神で応募しようと思いました。
また一方で、ミニ四駆界隈でもある程度のポジションをキープするためにはなにか箔が必要とは思っていて、簡単に言えば、大会で優勝する等の実績があればよかったんですが、起業方面からのアプローチ、ミニ四駆のツール販売をネタにビジネスコンテストに出るってまぁまぁ頭おかしいよね!というこれまた屈折しまくった思考が加速した結果応募しました。
平日にスクールあるけど、仕事終わってから間に合うなーくらいの感覚でした

その時は。

勤め先、傾く

そのときやっていた仕事は新電力の営業職。
切り替えをお客さんに進めるお仕事で、まぁそこそこ実績は出せていました。

ですがちょうどその冬、電力単価がコロナや寒波、パナマ運河の通行止め等で電力単価が爆上がり。

もともとその新電力の親会社は太陽光を中心に事業を拡大してきた会社ではありましたが、電力単価の高騰により、会社は解散、人員整理をするとのお達しが…

ただその頃には、ある程度P!MODEL LABOでも基盤が出来上がっていたので、数ヶ月はなんとかなりそう…と思い、特にその会社に義理もなかったので、早期退職ということで手を上げて退職しました、もちろん会社都合で!

イノベーションスクールの応募の選考にも通過し、講義を受けながら、起業するにも、就職活動したらいいや、と軽い気持ちでいました。
それにまだ子どもも小さかったため、子育てしながらゆっくりやっていけばいいかな、と思ってたくらいでしたが

家族、親族に「ふざけんな、就職しろ」と大反対を受ける

つづく

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P lab co.ltd.,ウチダケイ/ポラ
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