卒展SNSマーケティング実践記録
1.はじめに
卒業を控える学生が、最終単位を取得するため奮闘する四年生最後の課題「卒業制作」。そしてそれを展示する「卒業制作展」。作品を作るだけならまだしも、展示をしなければならないということは、作品制作以外に、やらなくてはならないことがある。それは広報活動だ。
広報活動、と呼ばれるそれは、簡単に言えば、知らない人に存在を知らせる、ということだ。展示をするならより多くの人に見て欲しい。自分の事を全く知らない人に、作品を通して思いを伝えたい。何かを作る以上、誰しもそう思うのは当然だろう。
たとえ、どんなにいい作品を作ったとしても、それが海の底に沈んでいたら誰も気づかない。ミロのビーナスだって、約2000年もの長い間、見つけられず埋もれていた。だから、探検家たちにわかるよう、自分から声をあげなければいけない。
宣伝といえば新聞の広告欄、チラシ広告、テレビCM、など、歴史は古い。それだけビジネスの世界では重要視され、また知らせるだけでなく、いかに行動に移してもらうかなど研究されてきた。今回はビジネスではないが、学ぶべきところはたくさんあるので、いくつか参考にした。
マーケティングの主な目的は、在校生、卒業生、身内または知り合い以外の新規来場者を増やす事。その事例と結果の記録をまとめ、これからの卒業予定者たちの参考になればと思い、公開する。また、文章が非常に長いため、間に大学の自然豊かな大学の写真を挟む事にする。朝日が差し込むキレイなキャンパスをぜひ見て欲しい。
2.なぜマーケティング?
青空がよく似合う、大学のシンボル、講義棟。吉村順三氏による設計。
具体的な活動を述べる前に、そもそもそこに至った経緯を展示場所の変移と共に簡単に説明する。
私の大学は長い歴史のある公立の芸術大学で、森に囲まれた自然豊かな立地が特徴だ。卒業制作展というと普通は、都心にある美術館などで開催されるのだが、私たちの大学は、3年ほど前から学内展示に完全移行した。
何故かというと、きっかけは、それまでお世話になっていた県立の美術館が改装をするため、その時期の展示が不可能となった事だった。そこで、対応措置として学内展示をしたところ、来場者、出品者共々なかなかの好評を頂き、ではこれからはずっと大学で展示をしましょう、ということになったのだ。地域に密着したアートイベントや、アートを使った町おこしなど、美術館を飛び出した展示が増えて、学生側も、四年間過ごしてきた馴染みの空間をそのまま生かせるので、イメージが湧き、より作品と向き合うことができる。
だが、大学でやることが、大きな問題を生む事となった。それが広報活動のやり方だ。
県立の美術館は、立地よし、知名度よし、設備よし、の、当たり前のことだが、展示をすることを目的に建てられた場所だ。必要なものは揃っている。そのため、私たちが自ら発信せずとも、展示場所の一声で情報はあっという間に広がっていく。美術館そのものにファンがいるくらいだ。
ところが、大学はどうか。そもそも学校とは学びの場であり、公共施設ではない。立ち入りを拒むことはしなくても、常にウェルカムな状態の場所ではないため、まず入っていいかどうか疑問を抱き、足を止める。今までと同じ方法が十分でないことは明らかだった。
もちろん大学側の広報活動もあった。ラジオ局での宣伝、ケーブルテレビの取材など。しかし如何せんここ数年の話であり、すぐに結果に繋がりにくいのが現状だ。大学におんぶに抱っこでは、「私たち」の卒展はできない。今では情報のほとんどをSNSで収集するのが当たり前と言っても過言ではない時代だ。長い物に巻かれないわけにはいかない。
という事で、私は早速アカウントを追加した。
3.SNSマーケティングは成功したか
これは、自分の専攻の展示場所に来てもらった人を対象に行ったアンケートを集計した結果をデータ化したものだ。結論から言えば、成功した。当初の目的、SNSマーケティングによって入場者数を増やす、ということは下の<図2>を見てもらうとわかるように、データ上、二人の新規来場者を獲得することに成功した。
<図1>来場のきっかけになった情報源の割合
<図2>SNS利用者と大学の関係、そのうちの来場回数
関係者は主に、在校生、卒業生、身内または知り合いがいる人たちのことを指す。そして関係者以外の中のリピーターの方たちとは、おそらくギャラリー関係者や美大の卒展に興味があるなど、すでに「卒展」の存在を知っている可能性が高い。なので、この<図2>のピンク色の人数は、「卒業制作展の存在を知らなかった」方であり、新規来場者増やす事を目的としたマーケティングは達成された。
朝日が差し込む大学を写真に撮り、SNSに投稿。被写体の友人を前日の夜中に「明日朝7時に大学に来て欲しい」とブラック企業並みの無茶を言うも来てくれた。女神を見たと思った瞬間。
4.SNS運営実録
ターゲットは新規来場者の獲得
では、さっそく、私たちが一体どのような活動をしていたかを見ていく事にする。
まず、運営をするにあたり、ターゲットの詳細なイメージを描いた。もう少し噛み砕いていうと、来て欲しい人物像は男性か女性か、年齢はいくつくらいか、仕事は何をしているか、どこに住んで、家族構成はどうなっているかなどを決める作業だ。それは、ターゲットを具体化することでその人が欲しいと思っている情報に特化でき、活動そのものの方向性を明確にする役割がある。デザイン設計の現場では「ペルソナ(persona)」と呼ばれるものに値する。
今回私が設定したペルソナは、こんな感じ。
中野瞳(なかのひとみ) 26歳 栄に勤務する通信系事務の女性。アートに詳しくはないが、美術館巡りをするのが趣味。独身。完全週休二日制の会社に勤める。身長160㎝。twitterとInstagramを使っている。好きな色はクリームやベージュ。オーガニックなどの言葉にも弱い。結婚願望はあるが、ひとり旅など個人で行動することも多い。金色のピアスがお気に入り。
ペルソナイラスト
休日がないと都心から少し離れた大学まで足を運んでくれないので、比較的ホワイトな企業に就職している方を想定した。本当は、心に余裕のない人ほどアートに触れて欲しいと思っているのだが、理想が高すぎると失敗するので、それはとりあえず押入れの中にしまっておくことにする。
このペルソナがどう関係してくるのかは、この後順番に説明することにするが、基本的に、私の眼中には中野さんしかないと思って欲しい。中野さんが来てくれれば、私はそれで十分だ。
使用SNS
使ったSNSはtwitterとInstagramの二つだ。幅広く使われているツールであり、中野さんもこれを利用している。これらのアプリを開くのは、だいたい出勤前、昼休み、退勤後、寝る前。投稿する時間帯はそれくらいの時を狙った。
実際に両方を使ってみた感覚としては、Instagramの方がtwitterに比べエンゲージメント率がよかったように思う。それは昔からそれらのSNSを利用する友人の話だと、Instagramの方が、反応を送りやすいからだそうだ。twitterは、自分のいいねした記事など、他の人に見られる可能性があるからそれに引け目を感じて押しづらい、など考えられる。あとは、情報収集の点で言えば、自らハッシュタグ検索をするInstagramは情報をスクラップする感覚に近いので、そちらの方が向いていると思われる。twitterは、拡散するので、幅広い人に認知してもらえる分、流し見で終わり、その後の行動に繋がらないという可能性もある。ただ、エンゲージメント率=ユーザーの行動ではないことは確かなので、あまり左右されすぎないよう注意したい。
いずれにせよ、今後情報の収集源は変化していく可能性が高いので、今後活用するのであればその時流行っているツールを使うことが、重要だと思われる。どこかで、これからは動画の時代だから、ライブ機能が流行るのでは…と、誰かが言っていた気がする。
一日1ツイート
19時台が、人が一番SNSを開いている時間だと言われているので、その時間に流すのがいいらしい。実際やって見た感じ、そんな気もするし、そうでない気もする。それに中野さんは、19時台も開くが、21時台も、なんなら出勤前の8時台も開く。通説より実際のターゲット層を観察し、考えるのがいいと思った。今回はやっていないが、twitter解析ツールの有料版では、フォロワーが一番オンラインしている時間帯を調べてくれる機能もあるらしい。
不定期にツイートするより、定時ツイートの方が、人の印象に残りやすい。根気よく続けるのが重要だ。解析ツールの無料版では予約ツイート機能もあるので、続けられるよう工夫することをオススメする。
運営は二人体制
実際これらを1人で運営するのはなかなか大変だ。一分一秒を争う、仮想世界の時計に自分の現実世界の時計を合わせるのは容易ではない。ご飯を食べている時、風呂に入っている時、中野さんが開くタイミングが来たら必ずSNSを開かなければならないのだ。なので、私は同じ専攻の友人に頼んで二人体制で運営することにした。投稿が被らないようにシフトを組んだ。ちなみに、愛しの中野さんのことは、気持ち悪がられる恐れがあったため、友人には言っていない。
他大学のデザイン科に通う友人は、ここより大規模だったため、五人体制でやっていたそうだ。本来なら、それくらいしてもいいところだったが、実は運営を始めたのは制作が終わってから、会期が始まるまでの一ヶ月間の即席の広報活動だったのだ。活動には充分な時間も必要だとわかった。
投稿する内容
そしていよいよ具体的な情報を流す、SNSマーケティングの核の部分である。ここでは、森美術館SNSマーケティング戦略の本を参考にしつつ、中野さんのための投稿をする。
まずは、中野さんに、私たちがここにいることを知ってもらうための大学の所在、そして卒業制作展の基本情報。
それから、今回、各専攻ごとにイベントを企画していたので、それの詳細な情報。私の在籍する専攻は作者による、作品解説(ギャラリートーク)だった。土日に開催するイベントで、主にこれも集客を狙う戦略の一つだった。中野さんにぜひ聴きに来てもらいたい。
↑チラシにもした案内イメージ
それから、来場者を長く空間に滞在させるためのものとして大事なのが「食事」だ。全ての作品を見て回るにはそれなりの時間がかかる。一日いようと思えば、当然お腹がすく。食事できる場所があるのかどうかを事前に知っているかいないかでも、当然客足の伸びは変わってくる。購買と、学食と、小さなカフェが大学の中には存在する。スタバやマックの入っている一般大と比べるとかなり、いや明らかに浮き世離れしているが、まぁ、不便さも楽しみの一つだと思っていただきたい。ちなみに、学食は土日限定でインドカレーフェアをやるなどメニューもいつもより力を入れていた。そういうところも押していく。
投稿する用に作った情報まとめ画像
5.課題とまとめ(というより、感想)
講義棟の中の様子
このようにマーケティングを行った結果、成果はあったものの、広報活動に即効性はないと考えた方がいいと思った。つまり、地道に宣伝をして知名度と、価値を高めていくしかないのだ。ほんの1ヶ月足らずの活動では正直、成功したのかしてないのかがはっきりとは分からない。しかし、これらを続けていけば、きっと延びていくという可能性を感じた。
実はSNSマーケティングをしながら、思った事があった。それは、
なんの為に人は見ず知らずの卒業生の卒展に来るのか?
という事だった。「卒業する人間」というのは世界中見ればいっぱいいるし、誰しも経験してきた事なのでそこまで新鮮さはない。春の恒例行事は遠く離れた他人の卒業より、上司の異動の方が気になる。鬼上司の下で働くことが決まった人が、片道1時間の電車に乗り、険しくともなだらかとも言えないビミョーな山を登り、無駄に広い敷地と閑古鳥が鳴く大学構内をあちこち歩き回り、既に疲労がたまり素直に作品を鑑賞できない…。もともとHPは半分しかなかったのに、これではアートをみて回復するどころかマイナス値を刻みゲームオーバー。だったらコタツに入って、Amazonプライムでウォッチハントしている方がよっぽど有意義だ。皮肉でもなんでもない、これは当然の事なのだ。
だが、その瞬間、開けてはいけない箱を開けてしまった気分になった。それは、今自分がやっている事を否定しかねない問であり、また一番解決すべき問題でもあったのだ。
もはや、私一人では手に負えない所まで来てしまったような気がした。卒展会場のある大学周辺地域のレジャースポットごと押した方が人は集まりやすいんじゃないか?将来のビッグアーティストになるかも知らない人を見定めるという楽しみもあるんじゃないか(新しい卒展の楽しみ方の提案)?少々大袈裟かもしれないが、そこをつかなければ全体の底上げには繋がらないのではないか?人が、卒業制作展に足を運ぶことによって得られる価値とは一体何か。
答えはどこにもないとしても、目標を設定する事は出来るはずだ。だが、それは私が運営をしていた期間では見つけることが出来なかった。
本業はお絵描き、たった一冊の本を読んだだけの独学真似事マーケター。普段使う所とは全く違う所の脳みそを使った正直な感想は限界を感じたに尽きる。
会期を終え、こうしてまとめを書いている今もやり切った達成感より、疑問などの方が強く感じる。
だが、無常感と同時に可能性を感じた事も確かだった。可能性とは、解決の糸口ではなく、目的を達成された時に得られる効果の大きさの事を指す。ここへ足を運ぶ価値が上がれば、多少の障害も苦とは思わない。緑溢れる、自然豊かな大学に人は癒しを求めてくれるだろう。
今後卒業制作展を見に行くことが人にとっての楽しみの一つとなり、また学生にとってもまたとない経験になりますように。
その為に、作品は早く仕上げるようにしよう。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。