【ユンゲ・フライハイト紙】政府のコロナ対策に対して、ほとんど反論は存在しない: ウイルス学者の評議会独裁
2020年3月25日
コロナ・パンデミックを理由として宣言された接触禁止令に対する賛同は、あまりに巨大なものである。アンケートによれば市民の95%が、自らの移動の自由に対する制限を支持しており、また政治もメディアも、危機における規律という点で、国民を賛美している。今のところ誰も、市民の権利の広範にわたる削減に疑いを差しはさむ勇気をもっていない。導入された規制や部分的にかなり厳格である刑罰は、法的に見れば、非常に脆弱な粘土足に立脚しているかもしれないのに、である。このことを法律家のJessica Hamedは、Frankfurter Rundschauのインタヴューにおいて明らかにしている。
2月にフランクフルトの弁護士会によって「刑法の専門弁護士」の地位を与えられているHamedは、いま公共的に法的状況について立場を取る勇気をもっている数少ない法律家である。彼女の判断によれば、多くの人々が、ビジネスや生業の停止によって自らの職業の遂行を禁止されているが、それは職業の自由や、場合によっては所有の自由への侵害になりうるものなのである。
彼女はこう批判している。「集会の自由——法治国家におけるもっとも重要な基本的権利の一つである——は事実的に停止されている」。それに加えて、政治的に決定された措置によって、「宗教的な集会所が大規模に制限されることで、信仰の自由さえも制限されている」。さらにもし国家が、接触に対する違反を自分自身の家の内部においてまで追求しようとするなら、「居住の不可侵」すらも侵害されるかもしれない。言いかえるならば、「その核となる部分が無関係であるような基本権は、ほとんど存在しないのである」。
政治家たちも市民たちも沈黙している
にもかかわらず、いまのところほとんど誰も、こんなに突然に私たちから基本的権利が奪い取られたことについて、心を煩わせることはないのである。そこに疑問をもたないのは、ウイルス学者の命令にしたがって、この基本的権利の削減を表明した政治家だけではない。それによって彼らは、ドイツをある種の評議会独裁へと変貌させようとしているのであり、そこではそれぞれの専門家が、それ以外の国民が何をするべきで、何が許されないかを規定するのである。
また市民自身もそこには疑いを抱かず、死を恐れるパニックによって、人生を生きる価値のあるものにしている全てのものを、明らかに喜んで放棄しているのである。煽情的な見出しやサムネイルを使ってお上に奉仕することで大衆パニックの触媒になっている大手メディアもまた同じである。
経済学や心理学はさらには法学の分野の専門家でさえも、しばしば非常に根拠の乏しいウイルス学者の分析に対しては、ただおずおずと臆病に反論しようとするだけである。政治的に責任のある立場に対する批判を耳にすることはほとんどない。数えきれないほどの人々や企業が、決定された措置によって生活の基盤を失う危機の前に立っているか、あるいはすでに倒産してしまっているのも関わらず、彼らはこの状況に耐え忍んでいるのである。彼らは行儀のよい市民として、硬直的な黙認によってそうしているのだが、そこからは何も新しい生活は生まれてこないのである。
「ドイツはイタリアではない」
このような社会の麻痺状態についてJessica Hamedは懸念している。彼女はその理由として「状況に対する不安」だけではなく、この危機のうちにあって批判的な言葉を投げかけるに際しての「逆風に対する不安」を挙げている。今日の戒律になっているのは、すでにローマの政治家キケロが知っていたように、Inter arma enim silent leges,つまり戦争のあいだは法律も沈黙する、である。
Hamedはまた、目下多くの人々から称賛を浴びているバイエルン州の州首相であるマルクス・ゼーダーに対しても批判をしている。その際に彼女はさらに、公共的議論においてこれまであまり触れられてこなかった点についても言及している。「マルクス・ゼーダーはいつも、あれやこれやの他の国々がこういったことをしていると指摘している。そこで見誤られているのは、それぞれの国々は、医療システムや人口や人口密度や年齢分布、既往症や社会的行動や生活状況などなどの点で、明らかに異なっているということである。ドイツはイタリアでもなければイギリスでもないのである」。
政府は警告に対して耳を傾けるべきであった
事実として、それぞれの国家における医療システムや社会的所与における相違はあまりに大きいものなので、どこかで可能性として正しい手段であるものを、ドイツにそのまま移し変えようとする議論というのは、非常にいかがわしいものなのである。
ある点についてだけ、この法律家はウイルス学者たちと一致している。それは連邦政府は、もっと前に専門家の警告やリスク分析に対して耳を傾けて、それに応じた行動をするべきであったということである。その点を念頭におきながら、私たちはいまの時代にあって、こう問わなければならない。いまや私たちはこれまでに例のないような政治的禁令の証言者となったのだろうか、そしていかにして私たちは将来においてこのようなことを避けることができるのだろうか、と。
https://jungefreiheit.de/politik/deutschland/2020/die-raetediktatur-der-virologen/