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オタ活における一人競争原理を観察する

今の仕事に就く前、私はとある電鉄会社の子会社で広告代理店の営業をしていたことがあります。
電鉄系の代理店……なんていうと聞こえはなんだか良いのですが、潰れにくいという利点はあるものの販売品目は電鉄がらみの媒体に制限されることが多く、世間一般が想像する「電通」や「博報堂」のような代理店とは違って相当限られた世界で細々と生きながらえるような企業でした。
また、親会社への忖度を欠かすことが出来ず、単体での業績が好調でも親会社が不調のときはボーナスも減るという狂った風土で、ただでさえ給料が安いのにやってられないという気持ちで今の職場に転職したという経緯があります。

とはいえ、そこでの業務はなかなか思い出深いものが多く、芸能人をイベントに呼んで間近に見られたりしたのはいい経験だったように思います。

さて、そこでの毎年恒例のお仕事として、「レールフェスタ」というものがありました。鉄道好きな人はよくご存知かと思いますが、鉄道各社では年に一度くらいのペースで車両基地を一般開放して子どもたち(及び大きなお友達)に喜んでもらうという催しがあるのです。

当時若かった私は物販列の整理という非常に地味な業務を担当していました。
子会社の人間なので別に電鉄業務をするわけではないのに、イベントだからと制服と制帽を貸してもらったりなんかして盛り上げつつお客さんたちを案内したりします。小さな子どもと一緒に写真を撮ったりなど微笑ましい(いや半分詐欺だが)ひと幕もある一方で、皆さんご想像の通りイタイ鉄オタに絡まれることも多々ありました。

話しかけてくる時のパターンはだいたい決まっています。

・〇〇(地名)の鉄道フェス行った?→知らねえよ
・〇〇系のパンタグラフはどこ製か知ってる?→知らねえよ
・俺、今年は関西のレールフェスタ全部行ってるけどどこが最強か聞きたい?→来年は来んでええ
・今年のグッズで満足出来るやつが羨ましい…俺を満足させたかったら3年前のクオリティ再現してみろよ→3年前に帰れ

などなど、色々な言い方はあるものの
「俺はとにかく誰よりも鉄道が好きなんだ!」
ということを強くアピールしてくるわけです。

鉄道が好きなのはいいです。ファンがつくというのはありがたいし、その人の趣味になるんであれば遠巻きにでも鉄道に携わる者として誇らしいものがあります。
ただ、クセの強い連中は
「俺が誰より」
「他とは違う」
「俺ほどのやつはいない」
的なニュアンスで、所有しているグッズやファン歴、参加したイベントの多さなどをひけらかしてマウントを取ろうとしてくるわけです。彼らは一体誰と戦っているのでしょうか。

私は鉄オタではないので、私に対してマウントを取っても仕方がないはずなのですが、どうやら彼らの中では
「電鉄会社の人に勝った」
という経験が一定の価値を持つようだったので、ニコニコしながらその勝ち星をくれてやったという香ばしい思い出があります。


時は流れて2024年。すっかりおじさんと言われる年齢になってから始めたアイドルオタクですが、時折レールフェスタをやっていた時の思い出が蘇るシーンを見ることがあります。

先述した、やや歪んだ鉄道愛を語るオタクよろしく、
「私はツアー全通した!あなたは?」
「俺は席良くないのに、前方のやつよりレスもらった」
「CD三桁購入はオタクなら普通でしょ」
的なアレです。

いや、好きなのは良いんです。
好きだからツアーもたくさん行きたい。行けばいい。
レス欲しい。わかるよ貰えたら嬉しいね。
CD買いまくります。まいどありい。
いずれも肯定されるべき行動であると思う一方、どこか他のオタクよりも自分が優勢であると主張したいと思わせる向きがあるのは何故なのだろうと素朴に疑問を感じるわけです。

私の考えるオタ活というものが、あくまでも「趣味」の域を出ないからこの疑問から脱せられないのかもしれません。
では、趣味じゃなくオタ活をしている人は一体なんなんだろう?という新たな疑問も生じます。義務?年貢?奉仕?性癖?4つ目以外はなんだかつまらなさそうですね。

もちろん、お金をかけずにオタ活をすることを推奨しているわけではなくて、むしろたくさんお金をかけて推しメンたちの商業的成功に寄与したいという考え方にはある種の健全性があると思います。
しかし、ローマは一日にして成らずと言われるのと同様、アイドルたちが大きな舞台に立てるようになることもまた、一朝一夕に叶うものではありません。
金銭的にもモチベーション的にも、オタ活に一定の持続性を持たせるためには身の丈にあった活動、すなわち自律性が重要なのだろうと考えます。
オタ活はマラソンと似ていますが、ゴール地点の定かでない過酷なレースです。よって、先頭を走るという幸福感が永続的なものなのか刹那的なものなのかもよくわかりません。ただひたすら、バテてリタイヤ(推し疲れ)しないように自分のペースを見極められる人が結局一番楽しめるのではないかと想像します。

もうひとつ、一緒に走るランナーたちと仲良くやること。これも密かに持続性維持の秘訣なのかなと思ったり。(少なくとも自分はそう)

山積みの新作CDの画像であったり、ライブの度にレスをもらった回数を自慢するツイートが散見されるSNS上で、偏った情報だけを受けた若いオタクたちがモチベーションを下げたり自信を失ったりしているのを見ると、オタ活の本来の有り様ってなんなんだろうと考えさせられます。

少なくとも、それなりの年齢の大人が嗜む趣味なのであれば誰かに競わされてどこかで苦しくなるような推し方はしたくないものです。あの時の鉄オタみたいにみっともない生き様はさらしたくないですからね。知らんけど。

……そう言いながら、ちょっとアレな感じのツイートをニヤニヤしながら観察する自分が一番みっともないもよなぁと思ったり。それもオタ活の楽しみの一つということで……知らんけど。

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