「パソコンが苦手な人のこれから」
はじめに
現代におけるIT関連技術は、かなりスピーディーにアップデートを繰り返していて、私たちの生活の中に、ごく自然に溶け込んでいます。
その技術の導入は私生活以外にも、職場や教育の場、商品開発、販売など多岐に渡っていて、最低限のパソコンスキルが多くの人たちに求められていることでしょう。
ですが、我が国日本では、未だITによる技術革新が進んでおらず、当然国民もすでに世界でかなりのスピードで、IT技術が進化していることを知っているにも関わらず、自分の国の状況をしょうがなく受け入れている状況でもあります。
今回はそのような状況の中で、「パソコンが苦手な人のこれから」にフォーカスを当てて考えていきますが、もちろんパソコンに関する知識が豊富な人にも関係するであろう話も交えていきます。
パソコンが苦手な人や、苦手意識を持っている人、またはIT技術の進化に疲れを感じてしまっている人など、幅広い人を対象にした内容でお届けしていきます。
『新しいものに疲れてしまった人へ』
代替えの時代が来ている
パソコンもスマホも、年々進化していて、私たちの許容範囲を越えようとしています。
パソコンが必要ないと感じるくらいに、スマホは進化し、それでもパソコン自体は昔に比べ、低価格でもかなり動作良く動く性能を身につけるようになりました。
タブレット端末の登場によって、行政機関、医療、サービス業、様々な分野における導入によって、人への負担を大幅に減らすことも可能になりました。
ですが、私たちの頭ではどうやら、これから先の最新技術についていけるのか、大半の人たちが不安なところでしょう。
テクノロジーは私たちに合わせることなく、開発者の技術革新によって、次々に新たなサービスが生まれていて、いつまでもその進化についていく必要は、果たして必要なのでしょうか。
数年に一度のペースでスマホを買い換える度に、違和感を覚え、ようやくなれてくるのはそこからさらに数年後、その頃にはまた新たなものが生まれていることでしょう。
休むことなく続く時代の変化に沿って、テクノロジーも進化していますが、人類にとってはいずれ限界がきてしまうのかもしれません。
いずれ人工知能などのロボットなどに、人類が管理されてしまう日がくるのではないか、とも言われています。
実際にそういうことになれば、私たちは仕事を失うことになるかもしれませんし、自分の判断すらもロボットが行う機会が増えていくかもしれません。
特に若者を中心として、感性を感じさせない行動には、すでに今心配な部分もあるのです。
子どもたちは私たち大人と同じように、出来るだけ効率的に且つ効果的に、物事を片付けようとするでしょう。
日本は特に長期高齢化社会とまで言われていて、さらにITリテラシーに関しては、世界に比べてかなり遅れをとっているのです。
その流れから、学校教育ではパソコンを使った授業や、英語スキルを身につけるための実習を行うことが増えています。
子どもたちにはほんの数年の間に起こるであろう変化を、想像もせずに当たり前のこととして、子どもの内から学んでいきます。
教育側の人間からすれば、IT関連の情報については、詳しくなければ勉強を始めなければならず、下手すると子どもたちの方が知識やスキルが豊富、なんてこともどんどん増えてくるかもしれません。
その状況で、もはや大人は答えを示すような教育ができなくなっていくでしょう。答えはすでに子どもたちが知っているからです。
ではそんな時代が来た時に、私たち大人が子ども達に授業の中でシェアしていけることは、どういうものなのでしょうか。
それは、綺麗事かもしれませんが、夢を持つこと、チャレンジすること、もしくは好きなことを貫いたり、自分らしく生きることのようなことではないかと考えています。
もはや教育に必要なのは、答えではなく子ども達や、私たち一人一人がどんな人生を歩もうとしているのかを考えていくような、もっと深いものを追求するべきではないかと考えています。
現状、教育としては答えを導き出し、その答えが正しいのかそうでないのか、と行った短絡的な教育しか行っていないため、記憶力や計算力を身につけるだけでしかなく、これからの時代において必要となる、想像力や情報を編集する能力が身についていきません。
これからの時代に、想像力や情報を編集する能力が必要なのは、その能力がなければ、私たちの行動はロボットに代替えさえ、言ってしまえば、それが便利な世の中に変わっていくということではないのでしょうか。
私たちは本当にそんな世の中を望んでいるのでしょうか。
考え方の問題
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