新卒ベトナムのハノイで1年半働いて思った10個のこと。
「たくさんの人に会いたい」「外から、大好きな日本を見てみたい」「誰とでも働けるようになりたい」もっともっと、知らないことを知りたくて、今までの自分の常識にないものを見たくて、日本を飛び出した。
ベトナムに来る前、そのときタイに留学していた友達がこんなことを言っていた。
"日本にいたとき、日本はもう未来がないってマイナスなイメージしかなかった。でも一歩外に出たら、日本はものすごい先進国で、何もかも完璧だと東南アジアの周りの国の人たちから賞賛されていた。それと同時に発展途上国の学生の勢いはすごい。みんな、自分の国を良くしたいと死に物狂いで勉強している。いつか日本は追い越されてしまうんじゃないかと思うからこそ、外の国に目を向けて、外から自分の国を客観視できるようになることが必要だと思う。"
日本にいたらわからない、外に出て初めて気付く、それを経験している友達の話を聞いて、心の底からワクワクした。
そんなこんなで(ご縁と、たまたま)飛び込んだベトナムのハノイでの1年半の生活。思ったことを忘れないうちに、書いて残しておきたいと思う。こうしてまとめてしまうと、終わった現実が寂しいのだけど・・・終わることが寂しいと思えるくらい、ハノイを好きになれたことが嬉しい。
1、あのね。どの国も、最高なんだと思う。
どの国もぞれぞれ、譲れない素敵な一面を持っている。最高なのは、日本だけじゃない。
「住めば都」という言葉があるように、ベトナムにしかない楽しさや、むしろ日本よりも便利だなと思うところさえあった。
①自分のことに使える時間が増える。
*タクシーも安く、Grabバイクもどこでもはしっている。人でぱんぱんの電車に乗る必要もなくて、雨の日に駅まで歩く必要もない。
②ハノイのどんなに安いアパートでも、掃除や洗濯をやってくれるところがほとんど。そのぶん自分の時間が増える。外食も、安い・美味しい・早い。(うん、もちろん料理をしなくなる)。
③バイクが多いからデリバリーも盛ん。奥様も喜ぶ野菜とかお肉を届けてくれるサービスもある。同僚ベトナム人からの「今日、お昼ない人〜?」の質問に手をあげる→ランチをFacebookで注文してくれる→数十分後にそれがオフィスへ届く。(情報通のベトナム人が多く、セールとかプロモーションとか、いつも嬉しそうに教えてくれる)。
④靴が壊れるとすぐに道端のおじさんが直してくれる。
⑤Macbookが壊れても、ドライヤーで裏面を乾かして直してくれる。(なんとお値段1500円ポッキリ!)
⑥物を買った後に財布の中のお金が足りないことに気づいても、「明日でいいよ」と言ってくれる。(しっかり確認してから買おう)。
⑦バイクで溢れる道路を渡るのが神的に上手くなった。
⑧東南アジアへの旅行が簡単。
島国日本で育ったわたしは、飛行機に乗らなくても違う国に行けるということに心底感動した。
⑨友達が近くに住んでいる。
ハノイは例えるなら「どうぶつの森」のような感じ。(わかってくれる人は、少ない)。どこどこの誰々さんって言えばみんな知っている、スーパーならあそこ、髪を切るならあそこ、みたいな。仲良しの友達には週3くらいの頻度で会うこともしばしば。東京に住んでいたときは、どんなに仲が良くても月1くらいだったから、それが楽しかった。
でも逆に、わたしがここに来るまで知らなかった闇もたくさんあった。まだまだ改善しなければならないところも多いと、ベトナム人の友達は言う。
食材はまだよくないものがたくさん出回っている。中国から来ているものも多いから、買うときは必ず見極める必要がある。見た目が綺麗すぎるものは買ってはいけない。
ベトナムではまだ高齢者の保険制度などがしっかりしていない。だから歳をとって老人になっても、重いカゴを背負って果物を売ったり、路上でお茶を売るなどして生活しなければいけない。
その他にも、法律のこととか、日本では考えられないことも多かった。
そういう話を聞いて日本と比べると、日本ってやっぱりすごいんだなぁって感心する。日本のいいところは、ベトナムに伝染させなければね。
2、若いうちに来る海外と、経験を重ねてから来る海外、それぞれどっちにも良さがある、と思う。
「24歳です」と言うと、「若いのにすごいね」と言われることが多かった。(すごいとは決して思わなかったけれど)そう言われていたからこそ、なににでも挑戦できたし、いろんなことを教えてもらえた。知らないことばかりで「これ聞いたら怒られるかな」ということも気にせず聞けたのは今の年齢だったからかもしれない。(無知は、知識よりずっと人に自信を与えるものである)。
入社したばかりの頃、「なんでこんなに大きな仕事をわたしに・・・社長・・・?」と思ってドキドキした仕事もいっぱいあった。けど、いつのまにかそれにもワクワクするようになっていた。1年半で得たもののいちばんは、「自信」なんじゃないかなぁと思う。こんな入社したばかりのわたしが、会社の偉い人に会う機会がとにかくたくさんあった。社長は「相手の役職とか、時には大切だけど、そんなの気にしないで1人の人間と思ってやったらいいのよ〜」と言ってくれた。
わたしの仕事は、簡単に言うと「ハノイに初めて来た人に、この街を好きになってもらう仕事」。基本的にお客さんと長く一緒にいることが多かったので、いろんな話をした。仕事の話だけじゃなくて、家族の話とか、どういう人生を送ってきたとか、そんな話まで。それはいつの間にかその人を、お客さんとしてというよりかは「日本を出て、海外で働く仲間」のように、その人の肩書きではなく、人間としてお客さんと出会うようになった。「今日はどんな人に会えるかな」って思って、営業へ行くようにしたらすごく楽しくなった。(これは、塚田農場でのアルバイト時代にやっていたこと!)
若ければ若いほど、好奇心は強いと思う。ずっと5歳児の子供のような好奇心で生きたいと思っているけど、知識が(微々たる量ながらも・・・)増えていくと次第にそれが薄れていくのも感じる。(増えたら増えたでまた知りたいことも増えていくものかもだけど?)だから今のうちにこうしていろんな人に出会えた経験を、大切にしたい。
一方、「新卒なのに、日本で働かなかったの、もったいないね」と言われたこともよくあった。確かに、日本の新卒一括採用はとても魅力的。経験がなくともしっかり教えてもらえて、しかも高い給料がもらえる。でも、新卒は日本で、しかも少なくとも3年は働くことが最も幸せだなんて誰が決めた!?わたしのモットーが「いつでも今が最上」なので、やりたいと思った瞬間、ここに向かっていた。何かに挑戦した時、ちょっと違うなって思った部分があったとしても、進まないより必ず近づけたはずだし、いろんなことを試して好きなことを見つけていきたい。
好奇心には消費期限がある。毎日自分は、新しい情報と出会いでアップデートされていくのだから、やりたいことがどんどん更新されていくことは普通なことだと思う。今から10年後の自分を想像して、こうなると決めてしまったら、期待値を上回ることができないから満足できなくなるではないか。
後から振り返ってみれば、やって来たことは全部繋がっている。選ばなかったほうの道は眩しく見えるけど、それ以上の経験を自分が選んだ方の道で、自分自身がつくればいいのだと思う。
自分のキャリアはフロントガラスではなく、バックミラーで見ると辻褄が合っている。by Tina Seelig 「What I wish I knew when I was 20」
人生は進化だ。そして、進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、全くわからないところ。by Dale Dauten「THE MAX STRATEGY」
話を戻すと、ベトナムは、挑戦できる場所でもあるけど、日本人がここで働く上では、何か与えることをしないと、この国で働かせてもらっている意味がちょっと半減してしまうとも、思った。むしろわたしの1年半は周りのベトナム人からたくさん貰いすぎてしまったと思うくらい、学んだことが多かった。もっと経験があれば、与えることももっとできたなぁとも思った、今の倍くらい。だから経験を積んでから来るベトナムも、きっとまた違った視点で面白いと思う。
大好きな上司に、ベトナムを出る前に言われた。「ここはまだまだ挑戦できる国だから、成長したと思ったら、また帰って来てくれたら嬉しいな、わたしもみんなも」。
うん、また、ここで挑戦できたらいいな。というかお世話になったベトナムに何かのカタチで恩返しできたら最高だ。
3、ベトナムで感じた危機感。
ベトナムでは日本語を学んでいる学生もとても多くて、日本人というだけで優しく微笑んでもらえる環境だった。日本のパスポートを見せるのは、水戸黄門のような気持ちにるくらいに、わたしはとても誇らしかった。
でも、周りの日本語を勉強していたベトナム人は、みんな勉強しに日本へ行きたいとは言うけれど、口を揃えて「日本では働きたくない」と言った。ベトナムに戻って、ベトナムの日系企業で働くのが幸せだと。
あるとき同僚のリンさんが、こんな話をしてくれた。「ベトナム人の友達が日本の銀行で働いているけど、トイレに行き過ぎると怠けていると思われるらしい。だから彼女は、仕事中に水を飲まないようにしている!エリちゃん、日本に帰って膀胱炎にならないように注意してね(わたしは水をたくさん飲むのでよくトイレに行っていた)。」そんなことあるかい!と、思ったけど、まだまだそういう会社はあるんだろうな。
他国から見る日本のイメージは、まだまだ「働きすぎて自分で命を絶ってしまう国」である。
「日本も少しずつ働き方改革とか、やっているよ」と状況は良くなっていることを説明する。「改革が必要な時点でかなりやばいよ」って、返された。日本語を勉強して、日本で働きたいと言われる日本になってほしい、したい。(どうやって?考えよう。)
4、母親のようなベトナム人が、大好きだ。
わたしは面倒見が良くて優しくて家族や友達を大切にするベトナム人の同僚や友達に、たくさん助けられた。お腹が空いた時も、風邪をひいた時も、仕事で失敗した時も、夜中にSAPA行きのバスに乗り遅れて泣いた時も、携帯をハノイの街中で落とした時も、タクシーカードを車内に忘れた時も、白いスカートにコーヒーをぶちまけた時も、いつも助けてくれたベトナム人の救世主たち。(わたしはもっと、しっかりした大人になりたい)。
幸い、大きな問題はいつも彼ら/彼女たちによっていつのまにか解決された。無くしたものは手元に戻ってきたし、白いスカートのコーヒーのシミは見事に落ちて、そのスカートはまだ履ける。
先進国から来た日本人がベトナムで生活するのは大変なことだと、ベトナム人は思っている。(実際不便なことばかりじゃないのに)それに加えて、愛国心が強いベトナム人。わたしがベトナムの好きなところを言うと、みんな嬉しそうに笑う。食べ物を一度美味しいと言えば、永遠とその食べ物が出てくる。
だからなのか、小さなことでも「外国人にベトナムで嫌な思い出を作って欲しくない」「できれば問題は回避してほしいし、できれば楽しく過ごしてほしい」という感情が強いように思う。日本人が、日本へ来る外国人に対して思うよりも。なんとなくだけど、日本人にとって日本は快適だから手助けがなくてもまぁ楽しんでもらえるだろう、という考えがある。(わたしがあった)。でも、ベトナム人の中では「外国人にベトナムの楽しさを味わってもらうには、ベトナム人であるわたしたちのサポートが必要」という母親的感覚が、ある気がする。それをすごく感じた。
いい言い方が見つからないのだけど、海外で働くには「外国人としての妥協」をされることが、ある程度は必要なんだとも思う。もちろんそれがないことはベストだし、外国人だからと言って優しくされることに甘えてはいけない。だけどベトナムで働くには、ベトナム人の力が必ず必要で(言葉や法律のことなども含め)日本人だけで成功することはできない。日本人にしかできないこと、ベトナム人にしかできないことがそれぞれにある。
ベトナム人は真面目な人も多いし、ちょっと恥ずかしがり屋だったり、日本人に似ていて、一緒にいてすごくラクだった。外国人にとても優しいと思う。まだあまり慣れていないのかもしれない。
オーストラリアに住んでた友達の話を聞いたら、多国籍な国の場合は、自分が外国人であってもハンデは0。あたりまえのように扱われると言っていた。そんな場所でも生きていけるくらい、たくましくなりたい。
6、人間らしいベトナム人の生き方を、いいと思った。
自分や家族の幸せが、いちばん大切。ベトナム人は家族や自分のことをとても大切にする。前に風邪をひいて仕事を休んだことがある。たまっていた仕事がたくさんあったから「みんなに怒られる・・・」と思っていたら、「Take care yourself」ってメッセージが。「自分のことをいちばんに大切にしなね、自分の幸せが第一だよ」って、言われた時は目が潤んだ。みんな自分を大切にしているから、同じように周りの人も大切にできるんだと思う。「お母さんが熱で」と、相方のミーちゃんが休んだ時も、文句を言う人は社内に誰もいなかった。
わたしは「人のため」を大切にしていた。(多分、ホスピタリティに興味があって、結婚式場とかホテルで働いていた影響があるのかも)。ベトナムに来てから、自分の幸せを考えたり、自分を大切にすることもとても大事なことだと思うようになった。
ある時ベトナム人の友達に「自分を犠牲にしすぎじゃない?自分を幸せにしてあげられるのは自分だけだよ」と言われた。その子はわたしに「どっちがいい?」と質問する時、わたしが先にその子の意見を聞こうとすると、「わたしはエリに聞いている。わたしのことは考えなくていいから、自分のことだけ考えて、まずは選んでみて」というくだりがお決まりだった。
「人のことばかり考えなくていい」と、いつもわたしに教えてくれた。
「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるというのだろうか」-「嫌われる勇気」
7、自分をパワーアップさせる、いろんな働き方があって、すごい。
・ベトナムでは副業が許される。
同僚にはダンスの先生をやっている子もいれば、翻訳者として日本語の漫画をベトナム語に訳している子もいた。「これはあんまりお金にならないけど、好きだからやっている。日本語が上手くなったら今の仕事にも繋がるし」と。みんな自分を武器にするために楽しみながら副業をしてた。
・女性が男性よりも働く世界なので、女性で起業する人も多い。ベトナムで男女は関係ない。(むしろ男性は昼間もカフェでコーヒーを飲んでいる!)
・そしてベトナム人はよく仕事を変える。高い賃金のオファーが来るとすぐ乗り換える。いいところがあれば移る。いつも自分に最適な場所を探し続けて、働く。そのためにみんな、日々レベルアップしている。語学ができると賃金が倍になったり、技術があるとインセンティブがつく。だからみんな必死になって勉強する。
しかもオファーがとてもはやい。優秀な人がいたらすぐにオファーがかかる。友達の優秀なベトナム人が会社を辞めた途端に、ベトナムの大きい財閥のようなグループであるVinGroupからオファーが速攻で来た。(どこから情報を?)
・いろんな働き方がある。
これはハノイというか、東南アジアで働く人を見て感じた。物価の安いタイやベトナムには世界中から外国人が集まっている。自分で自分を管理して、パソコン1台で働くリモートワークをしている人。労働時間でお金が払われるのではなく、自分がどんな成果・何を作ったのかで評価されて、それに対してお金が支払われる働き方。会社に所属せず、フリーランスとして「自分の名前で働く」働き方。どこの会社の、とか、あまりそういうものを気にしていないような気がした。
いろんなやり方があって、自分にあった働き方で、自分が生きたいライフスタイルに合わせてみんな、仕事をつくっていた。「旅をしたいからパソコン1台でできるプログラマー、とかWebデザイナー」とか。
2ヶ月働いて2ヶ月旅に出るライフスタイルがいいと言ったベトナム人の友達。だから自分の会社をつくった、ずっと誰かの元で誰かのために働くのは嫌だったって、言っていた。
みんな、誰かのためじゃなくて、自分のために働いている!
8、どんどん変わるベトナムの街が好き。
まだ未完成のハノイが好き。どんどん変わる街と、昨日まであったのになくなるお店と新しくできるお店と、かと思えばもう何十年もやっている老舗のお店と。どんどん街が変わって行く。1年半の間に、街はとても都会になった。(ZARA もマクドもH&Mもできた!)短期間でこんなに街が変わる。それって、すごいことだなぁと思う。何年か後に、ハノイに来た時どんな気持ちになるんだろう。東京みたいになっていたらちょっと寂しいけど、想像するだけでワクワクする。ハノイで出会った人たちと、5年後くらいにハノイツアーをやりたい。モノレール、ちゃんと完成しているかな。
9、ハノイを好きな人は、みんな面白かった。
「自分がハノイのことを好きになればなるほど、それが仕事に繋がるんだよ、素敵でしょ」「転職しても活躍できるような人に、ここで成長してほしいな」って、入って1週間くらいの時に上司に言われた。ハノイでは本当に人に恵まれて、ここで働いてよかったなぁって思った。
旦那さんがベトナム人の女性上司と、奥さんがベトナム人の社長。2人とも長くベトナムに住んでいる。なかなかチャレンジ精神が旺盛な人たちで、2人の昔の話を聞くと、とてもワクワクした。海外にいる人はいろんな経験をしていて、やっぱり面白い。特にハノイが好きな人は、なんか面白い。合わない人は去っていってしまうけど、合う人はとことんハノイが好きになって、それでいてとことん面白い。違いを楽しめるオトナ!
空気もキレイじゃないし、雑で、カオスな渋滞と。なのに、なんだか憎めなくて、離れるのが寂しくなってしまう。なぜか人を引き寄せる、不思議な力がハノイにはあると思う。
10、多様性を受け入れられるようになった。
いろんな生き方がある。いろんな幸せのカタチがある。いろんな考えがある。どんな仕事も、どんな生き方も、どんな考えも、まずは「いいね」って一旦受け入れられるようになった。そういうのもあるのか、と。選択に正解とか不正解とかなくて、選んだ先で自分がどう頑張っているか、だと思う。
なんか普通の人っていないよなぁって。普通の人生なんてなくて、みんなそれぞれに自分の思いで選択や決断を重ねて、自分自身の魅力的な人生を生きている。どんな人にも、語るべき人生の物語があるのだなぁと改めて思う。
25歳の時にベトナムに来て今の旦那さんに恋に落ちて移住しちゃったとか、タイで日本語教師になろうと思ってタイ語勉強したけどハノイでオファーがあったからなぜか今ハノイにいてベトナム語ぺらぺらとか、仕事を辞めて世界一周中で超楽しそうな人とか、気づいたら5年も旅してて家帰ったら違う人住んでたとか、40歳になったけどまだ自分のやりたいことわからんから探し中ってめちゃイキイキしながらいう人とか、なんかいろいろあるよね。
人生のどの段階においても、「いま」が一番楽しく、充実している自分でありたい。 by 堀江貴文
と、自分への贈る言葉とします。
ハノイはわたしのアナザースカイです。
わたしの大切にしている言葉「人は必要な時に、必要な人に出会う」
ハノイでお世話になったみなさん、またお互いが必要な時に、お世話になるときがくると思います。その時はまた、何卒・・・よろしくお願いいたしますm(__)m
今後のことは、また次回へつづく・・・。