ベトナムでの、24歳という立ち位置。
小学生の時、結婚したい年齢を聞かれて迷わず「19歳」と答えていた自分がいた。24歳になった今、小学生の頃の自分に伝えたい。いくら何でも早すぎる、と。
子供のときって「ハタチ」に憧れを抱きがちであると思う。お酒が飲めて、タバコが吸えて、「成人」として扱われる。ハタチの人間を、「完成形」を想像している場合が多いけど、20年足らずで人間は完成しないと思う。
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日本にいたときは、24歳という自分を大人に感じ始めていた。大学4年生の時、学校にいると大半が自分より年下で、アルバイトをしていても、ほとんどの子が、自分と同い年か後輩だった。テレビで活躍している芸能人を見ても、自分より年下がだいぶ増えたように思う。
そんな状況に、24歳にしてなんだか年を取った感じがしていた。
「自分がお手本にならないとなあ。」と、いつも思っていた。与えられる立場から、与えなきゃいけない立場になった気がしていた。失敗してはいけない気がしていた。
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成人式のとき、私はこんなことをつぶやいていた。
今までは周りの人にたくさん幸せにしてもらったけど、これからは周りの人をたくさん幸せにする人間になろう~~!
そんな20歳の自分。
就職活動のときも、「どんな人間になりたい?」と聞かれて、「与えられる人間になりたい。」と言っていた。アバウト。
ずっと貰ってきた立場から、あげる立場に切り替わるのが20歳なのかなあ。
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今、わたしが住んでいるベトナムのハノイには、日本人は7000人いる。その中で、自分はかなり若いほうだと感じる。
自分より年下は学生インターンくらいしかいない。もしくは1つ下の23歳。いずれにしても、若い部類であると思う。営業先ではよく年を聞かれる。
たくましいねー。若いのにすごいねー。俺がその年のころなんて何も考えていなかった。その年で海外に出れるなんて、いい経験してるねー。なんてことを言ってもらえる。ベトナムに来て、自分はまだまだ若いぞ、と思えている。
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よく換算されるこのたとえ。人生を80年として考えると、24歳はまだ7時半くらい。(計算合ってる?)
仕事の日ならば今日1日のタスクを考え始める時間だし、むしろ休みの日なら、まだ起きていない。ということはこれまでの人生は眠って、準備していたってことだよね。24歳は、人に与えていく立場でもあり、まだまだ吸収していく立場でもあると思う。
ベトナムに来て1つ気がついたことは、失敗してもまだまだ許される年齢であること。新卒でベトナムに来た理由の1つに、「やりたいことを挑戦するのなら早い方がいい。」という考えがあった。
やりたいことや好奇心には、消費期限が必ずあると思っているし、いつこの気持ちが無くなるかわからない。やろうとしたときに、できる状況かもわからない。結婚していたら?子供がいたら?親のそばにいなければいけないかもしれない状況だったら?
幸福なことに、大学を卒業した私は、何も持っていなかった。失うものは何もなくて、とっても身軽だった。(実際、ベトナムにもスーツケース1つで来た。)
何歳になっても、やると決めた時がベストタイミングだと、思う。
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わたしは、6時間は寝ないと本領を発揮できない。これまでの人生、なんだかんだいっぱい寝れた気がしてる。
いい睡眠をとれば、いつでも軽快に動き出せる。自分の好きもの、やりたいことが、だんだんとわかってきた24歳。
まだ決まっていなくても、いつでも好きなものを探し求めてる自分で、その好きに向かって、チャンスが来たときいつでも飛びつけるように動き出している自分で、いたいと思う。