私にとってバンコクは、いつもワクワクをくれる特別な場所だった。
誰かが自分を待っていてくれている空港に、着陸する瞬間がたまらなく好きだ。飛行機を降りると、バンコクの空気をおもいっきり吸い込んで、空港内を小走りで駆け抜ける。wi-fiを入れると大好きな友達から、「Welcome to Thailand!!」と、メッセージが入っていた。
その人は悲しいほど優しくて、あたたかくも冷たい人だ。バンコクで、浅草のゲストハウスで働いていたときに知り合ったタイ人の友達に会った。わたしの人生に、いつも刺激をくれる友達である。
ビエンチャンからチェンマイまでの直行便がなかったので、バンコクに寄ることに決めたのが、確か1週間くらい前。彼に会うのは久しぶりと言いつつ、実はそうでもない。けど、この2ヶ月の間に色々なことがあったので、わたしはこの日をとても楽しみにしていた。
バンコクはパスポートコントロールがいつも混み合っている。「着いたよ!」とメッセージを打ってからも、なかなか出口までたどり着くことができない。
彼は、隙があれば仕事をしている。空港でさえも、座る場所を探して。
わたしがどんなに遅くなろうが、いつも「ゆっくりでいいよ」と言ってくれる。「僕は自分の仕事を楽しんでいるから」と。ひとりで過ごすのが、とても上手な人だ。
彼はこのときも、仕事をして待っていた。会って早々「今夜は予定ある?」と、わたしに聞く。なんて冷たい質問なんだと思いながら、夜ご飯を一緒に食べようって言ったじゃんと伝えると、じゃあご飯に行こう、ということになった。
「バンコクへ来た目的は?」と聞かれたので、一応「紀伊国屋で本を買う!」と、後付けの理由を伝えた。それだけ?つまらないなぁというような顔で微笑んだ。わたしがどこかに行きたいと思う理由の大半は、そこに会いたい人がいるからだ。会いたい人がいるからその都市立ち寄ったって、別にいいじゃないか。
リクエストしたタイ料理を一緒に食べた後、カフェに行った。隙があればコードを書き始める。彼がプログラマーとして働き出したのは18歳の頃。大学へいちどは通ったが、つまらなくて辞めて、そこからずっとプログラマーとして働いている。今ではフリーランスとしてもWebサイトを作成している。「ひとつのサイトを作るとどのくらいお金がもらえるの?」と興味本位で聞いた。「その人の技術による」と言いつつ、とんでもない額の答えが返って来て、椅子から転げ落ちそうになった。
どうやってプログラミングを勉強したの?と聞いたら、「Google」と言っていた。わたしが「それだけ?嘘だ」と言うと、「Youtube」と返って来た。
わたしも勉強したいと言うと、「簡単だよ、30分で教えてあげるよ」と笑った。(悔しかったので、わたしはホテルに戻ってから登録していたProgateを進めた)。
18歳の頃は、プログラミングなんてできなかったけど、とりあえず頼んでWeb製作会社に入れてもらったのが始まりだと、彼は言っていた。今はもう、立派なプログラマーだ。英語もろくに話せなかったのに、5年前に今の外資系のベンチャーに転職した。そして今、彼の英語はタイ訛りもなく、とても綺麗で流暢だ。
「やりたいことがあるなら、それができる環境に飛び込むだけ。あとは、なんとかなるから。準備が終わるのを待っていたら、ずっと飛び込めないままだよ。」
彼が来月から世界一周に出るという話は前々から聞いていた。ゴールはアメリカ。直行便だとただ高いしつまらないから、いろんな国を経由しながら1年くらい時間をかけて進む、と言っていた。うん、2ヶ月前までは。
「行く国はもう決まっているの?」と聞くと、彼は言った。
「どこまで、君に話したっけ?」
わたしはドキドキした。
彼がまた、とんでもないことを言い出すのではないかと思ったからだ。
「最初は1年のつもりだったけど、しばらくバンコクには帰ってこない。多分、6年間くらいは旅を続けるつもり。」
ほら、やっぱり彼はどこまでもクレイジーだ。6年って、小学校を卒業できる長さだ。
今勤めている会社は辞めない。それに加えて、フリーランスとしても働き、旅をしながら、どこまでいけるか試したいらしい。できるかわからないけど、やってみる。できなかったらすぐに戻るよ、とケラケラ笑って水を飲んだ。
旅に出ることは、周りの友達にはまだ誰にも話していないと言っていた。出発まで、あと1週間しかないのに。相変わらずである。言ったらお別れ会が続いて大変になるから、と。
旅に出ることをみんなに伝えるサプライズムービーを作っていて、まだ未完成だったけど、わたしに見せてくれた。バンコクを離れた後に、Facebookに投稿するらしい。
彼はきっと、言った通りに6年間、旅を続けるんだろうなと、なんとなく思った。
次わたしが彼に会うのは、きっと1年後の日本だ。それも、果たしてどうなるかわからないけど。
スタートは、わたしが前に住んでいた、ベトナムのハノイ。
*
ホテルに戻って、コワーキングスペースへ行った。そこで仕事をしていたイタリア人のジョージアと少し話をした。彼はいつも日中は、部屋で長い瞑想をしているので話しかけられない。ちゃんと話したのはこの時が初めてだった。
そうしたら、彼はもうすでに5年間も旅を続けていると言い出した。世界をみたくて旅に出始めたら、いつの間にか5年たっていたらしい。世の中には、そんなことがいつの間にか起こる人生があったのか。なんの仕事をしてるの?と聞くと、彼もプログラマーだった。
住むならインドネシアのバリが住むのにおすすめだと強く言うから、わたしのこれからの行き先リストに入れようか、今ちょっと悩んでいる。
なんだか、最近思う。本当にやりたいなら、飛び込んでしまえばいいんだって。最初はちょっとこわいけど、気づいたらいつのまにかできるようになっている。追いついている。
よくよく考えたら、わたしも自分が海外で働けるとは思っていなかったし、こうやって東南アジアを周遊できると思っていなかった。やってみたら、いつのまにかできるようになっていた。
この前、ハノイで働き始めた頃に書いていた日記を読み返した。今でこそあまり覚えていないけど、最初の頃は毎晩、会社からの帰り道に泣きながら歩いていたことを思い出した。
「とりあえずやってみて」という環境で、知らないことだらけのまま、ただがむしゃらにやっていた。そもそもベトナムには人に教えるという習慣があまりない。聞いたら教えてくれるけど。
職場の相方だったMyちゃんとは今でこそコミュニケーションもちゃんととれるし、旅中も毎日連絡をくれるくらい親しい仲だ。けれど最初の頃は仕事以外の会話はしなかったし、何度もコミュニケーション不足で失敗した。上司はいちどもわたしを怒らず、見守ってくれたけど。
仕事が楽しくなったのは、いつからだったっけ。いつのまにか、Myちゃんやオフィスのみんなと仲良くなっていて、ベトナムが好きになっていた。ハノイを離れても「いつでも戻って来てね」と、今でもみんなが頻繁にメッセージをくれる。
夢は、入り口さえ見つけて飛び込めば、いつのまにか叶っている。本当に最初だけ、ちょっとだけ、えいって、頑張るだけ。
*
わたしにとってバンコクは、いつもワクワクをくれる特別な場所だった。
大好きなタイ料理と、大好きな青空と。そして大好きな友達がいて、いつもわたしをワクワクさせた。
たまにふと考える。もしこの友達とバンコクでゲストハウスを、えいっ、って始めていたら今頃どうなっていただろう。
次バンコクに来るときは、仕事をしながらも空港でわたしを待っていてくれる友達はきっと、もういない。
わたしも、負けないくらい楽しくてワクワクする人生を送るぞ!