You only live once, but if you do it right, once is enough.
なにをするにも「意味」を探してしまう。この時間は得だとか、損だとか、ためになるとかならないとか。自分の損得ばかりで生きてしまっていると思うことがある。できるものなら24時間のすべてを、どうにかパワーアップする時間にしたい。
小さい頃はお兄ちゃんとよく一緒にやって大好きだったゲームも、今ではあまり気が進まない。飲み会で遅くまで飲んでしまい、次の日起きたらお昼だったとか、それはもう絶望的にショックを受ける。つまらなかった会食の帰り道、「ああ家で本を読んでいた方がよっぽどよかった」とか、冷たく思ったりするときもある。
知れば知るほど、いろんな場所に行けば行くほど、たくさんの経験をすればするほど、どんどん物事への期待値が上がっていく。もっとこうなりたいとか、もっとこうしたいとか、そういうのばかりが増えていって、あああ〜幸せが遠くなっていくなああああ、と思う時がある。
1年前くらい、23歳の時にたまたま読んだこの記事が、好きだったので、メモ。
自分への学びになり、誰かの人生に価値を与えられる限り、今日はやはりいい日です。
私はまだ23歳です。そして、そう、あと1年半もすれば四半世紀生きたことになります。でもそれは見方を変えれば、何かを学びつづけたり価値を生み出したりするのに私には75年も残されているというのと同じです。その657,000時間以上を私は自分のやりたいことに使えるのです。
スージー、あなたはまだたった23歳なのよ。生き急がないで。
私の人生のモットー、「いつでも今が一番最上」
いつでも自分のやりたいことをやるという選択は、やりたくないことはやらないということになってしまうワケだけど、やりたくないこともやる下積み時代って大事だよなあ。やりたくないことにも「やる意味」を探して自分流にアレンジして楽しむことが大事だなあ、と最近ふつふつと思うのでここに記録。
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極端だけど、期待値を下げて生きたい。小さなハッピーを大切にしたい。いつでもどんな時も、小さい椅子に座ってお茶を飲んでいるベトナム人のおじさんたち。日中何もせずただぼーっとしてるおじさんたち。なんだか幸せそうなのよね。
週末うっかり寝すぎてしまったら、「いっぱい寝れたぜ疲れ取れたハッピー」くらいの気持ちでいたい。その方が、幸せに決まってる!
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なんか好きで、なんかやりたいと思ったことがあったとして。それを人に説明するために「理由」を後付けで考える。就活をするときとかね、それはもちろん必要。
「なぜベトナムに来たの?」「なぜホーチミンじゃなくてハノイなの?」とか、聞かれることがよくある。後付けで考えた理由は、いっぱいある。
経済発展が著しくて〜、色んな人に出会いたくて〜、親日でご飯も美味しくて〜、日本のバブルの時みたいだと聞いて〜、若者がたくさんいて活気があって〜、日系企業がどんどん進出してて〜、
人に説明するために用意した理由はいっぱいあるけど、なんだかんだ「なんか好きだった」が1番大きい。「たまたま」ここに行き着いた。
すべてに「意味」を探しがちで、本当はそうあるべきかもしれないけど
ただ感性に従って生きるって、人間らしくていいなあ。と、ふと思った24歳の春。
もし生まれ変わったら何したいかな〜とか、あの人の人生いいなあ〜とか、よく思ってたけど、そういえば最近なくなった。
もっと小さい頃から英語勉強しておけばよかったとかは思うけど、今からやってもいいかと、思えるようになった。
なんだかんだ24年間、その時々にやりたいことをちょっとずつだけど、やりながら来れているかもと。
やっとけばよかったー、って思うのは、じゃあ今からやればいいんだ、残りの人生の657,000時間を何に使ってもいいんだ。
You only live once, but if you do it right, once is enough.
人は、たったいっかいしか生きれないけど、正しく生きたらいっかいで十分だよ。