生活の組み立て
自主的な活動として何かしらアウトプットをしたいと思いつつ、特に何かできるわけでもなく、ううむと思いながら早数年。社会人生活も4年目。気づけばもう20代もじりじりと終わりに近づいてきた。なんとなく文章でも書くかと思い、noteを始めてみる。
目下、テーマを「生活の組み立て」としてみよう。
私の関心は広く浅く、割と色々な趣味に手を出しては沼の浅瀬に嵌っている。特定の語れることがあるわけでもないが、なんとなく全てはある一定の方向に向かっているのではないかと考え始めた。
インディペンデントなバンドの音楽を聴くこと、自転車に乗ること、料理をすること、古道具を集めること、民藝の道具を使うこと、写真を撮ること、ミシンをたたくこと、DIYをすること、自然の中に身を置くこと。
少し飛躍するけどこうしたことは全て「生活を自分の手で組み立て直す」ことであって、その先に「人間性の回復」みたいなところを目指しているのではないか。自分なりに人間らしい生活とは何か、それを実現するためにはどうしたらいいか、そんな大層なものではないけど日々考え実践していることを書いてみようと思う。
生活、暮らし。
女性誌に始まる暮らし系ブーム、ライフスタイルムーブメント、生活工芸、民藝、コロナ禍における自粛生活。日本ではここ何年にもわたって「生活が大事だ」みたいなことが言われ続け、特にコロナ以降は多くの人が自らの生活を省みたと思う。
一方で実際に「暮らしの側」は私たちからどんどん離れていって、私にとってはなんだかもはや手の届かないぼんやりしたものに見えてしまう。世の中で語られる豊かな生活や丁寧な暮らしは既に消費社会に飲み込まれて目指すところと違う。
暮らしが大切なのに暮らしに手が届かない。
毎日生活しているのに生活してると思えない。
そこにあると思って手を伸ばしても空振りする。
地に足が着かず僅かに浮いている。
そんな感覚がずっとある。
地に足の着くじいちゃんち
私にとっての「生活」の原風景は京都(市外)の実家よりも、愛媛の片田舎にある。
父方の実家であるその場所が好きで、幼い頃から何度も何度も通っている。そこではなにか地に足が着いた生活の実感のようなものが得られた。自分にとってはかけがえのない故郷のように思える。
おじいちゃんや親戚のおじさんが作った米や野菜や果物、近くの海で揚がった魚を食べること、内外のグラデーションが豊かな日本家屋で屋内にいながら外気を感じること、犬を連れて田んぼの畦道を散歩すること、そこら中に誰の土地でもない(実際には所有された土地だったのだろうけど)場所があること、近くの山で湧く温泉に浸かること。土も風も光も水も言葉も人の営みも、その場所に固有のものがあった。
その場所に生まれ育ち生活をしていると、そこから逃げ出したくなったかもしれないし、余暇として外部から通う身であったからこそいい面ばかり見ているのかもしれないけれど、そこには「人間らしい生活」があったように思える。
そんな田舎がいいなら田舎に行けば。という話かもしれないけど、仕事やライフスタイル諸々を考慮するとそんな簡単な話ではない。憧れはあっても、目下そういう選択をする予定はないし、慣れ親しんだ関西を簡単に出て行くだけの根性もない。
では、それなりに都市化された場所で暮らし、住んでる場所と離れてた場所に通勤して会社員として働いている限り、「人間らしい生活」はできないのだろうか。難しさはあるにせよ、何かやり方があるのではないか。
直観とつくること
最近気になる言葉に「ブリコラージュ」というものがある。人類学者のレヴィ=ストロースが「野生の思考」の中で提示した概念で、「器用仕事」とか「工夫仕事」と訳される。ありあわせの道具と材料を用いて自分の手で物を作る知恵とワザのことで、「設計」とは対極に位置する。
それとか、料理研究家の土井先生が言うところの「味噌に任せればレシピの計量は不要です」や、柳宗悦の説く美を見出すための直観。このあたりの感覚。
かつて人間は身の回りのものはなんでも自分で作り、より小さな円環の中で生きていた。近代化以降、人は作ることの手間を省き、作られたものを購入するようになって生活はより便利に快適になった。共同体から離れて生活を外注することで自分の専門性に集中するようになった。
こうして自分の専門性を高めることは、自分の個別性を磨き自分らしい暮らしを求めることのように思える。しかし一方で多くの人にとってそれは逆説的により大きなシステムの中の代替可能なある一部、無色透明な存在になることなのではないか。
作ることが生活を組み立てる
もう一度生活を自分の手元に取り戻そう。より小さな円環を志向しよう。そのためになんでも自分でやってみよう。人の手で出来ることは工夫してやってみたらだいたいそれっぽくはできるっぽい。できなくても、より深く選択しよう。
下手でもいいからやってみること、自分の生活を人任せにせず主体的に手を加えること、そしてそこに美を見出すことが人生をより豊かにすると信じている。その積み上げが自分の手で生活を組み立てることになる。それがこのイカれた世界でサバイブするための、ささやかな抵抗の実践と思っている。
とかは言いつつ、難しく考えず、なんでもやってみると案外できるし楽しい。ということで、自分で自分の用を足す為にこれまで作ってみたものややってみたことを、やり方とか参考にした資料を紹介しながら書いてみようと思います。
カーテン作った話とか、チャリのカスタム、作った家具、作ったかばん、Tシャツの丈つめ、ギターのリフィニッシュ、お気に入りの道具や読んだ本のことなどなど。