Novelber 14th—空想上のナニカ

 大人になって、ポケットを使わなくなった。
 ハンカチはポーチやバッグの中。おやつはデスクの引き出し。ドングリやきれいな石は拾わない。ダンゴムシはそもそもいない。おしろい花の実は摘まない。
 これではいつかポケットがアイデンティティを見失って、自分探しの旅にでも出かねない。
 ためしに小さな「ナニカ」をポケットに住まわせてみることにした。

「ナニカ」は私が着ている服のポケットにいる。いない時もある。
 姿形は不定形で、私の気まぐれやイメージで変わる。
 私の感情に合わせて表情を変えて、私の望む言葉を話す。
 つまりは空想のお遊びだ。

「ナニカ」は昔読んだ「ちいさなちいさな王様」という本に出てくる王様をまねて作られている。
 小さくて、わがままで、偉そうで、想像力に溢れて、グミベアーが好きな王様。
 主人公の胸ポケットに入って通勤路を眺めていた王様のように、「ナニカ」はポケットからちょこんと顔を出して外を見ている。

 職場への行き帰りでは、重い体を動かしている私をよそにうとうとしている。犬が近づいてくると隠れる。たまに鞄や買い物袋を持ってくれようとする。
 職場で退屈な話を聞いているときは露骨につまらなさそうにする。
 書類やパソコンの画面をのぞき込んでは、さもわかっているような顔つきでうなずく。ただの私の分身なのだから当たり前だけど、ミスを見つけてくれたことはない。
 私がミスをしたときは慌てふためいてポケットから落ち、さらに右往左往したうえで、最終的に私を慰めてくれようとする。それを思い描くと、焦ってもしょうがないと開き直れる。

 年度が変わってひと月ほど経った夜。
 残業終わりの帰り道に、「ナニカ」が「あれほしい」と指をさした。
 公園のフェンス沿いに植わっているツツジ。
 疲れで大人の判断力が鈍っていたのかもしれない。私は素直に植え込みに近寄り、外灯の下でひときわビビッドに見える花を一輪詰んだ。
 無意識のうちに、蜜を吸えるようにがくを抜いていた。
「ナニカ」のいるポケットにツツジを入れて、大人の私は夜道を帰った。

Novelber 14 お題「ポケット」

※お題は綺想編纂館(朧)さま主催の「Novelber」によります。

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稲見晶
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