【しをよむ065】村野四郎「鹿」——境目を跳び越える脚と、こちらを見つめる瞳。
一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。
村野四郎「鹿」
石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)
鹿、という生きものは清廉な森の象徴のようですね。
すらりとした脚と堂々とした角。草食動物の大きな瞳。
「喰われるもの」の儚さと森を駆ける威厳を併せ持ったアンバランスな魅力。
漫画「BEASTARS」の主人公はハイイロオオカミのレゴシですが、もう一人の主役とでも言うべき存在は、アカシカのルイ。
肉食獣に囲まれた世界を見つめ、しなやかに誇り高く居場所を築きます。
また「ゴールデンカムイ」の序盤にも、鹿が登場する印象的なシーンがあります。
戦場で命への執念を燃やしていた自身と、手負いの鹿とを重ね合わせ、
「せめて苦しませずに仕留めないと」と思いながらも引き金を引けない主人公。
「殺すこと」「狩ること」「食べること」の重みが訴えかけます。
「もののけ姫」のシシ神様も鹿に似た姿で現れますね。
人間にとっても大事な「肉」であり、山に暮らす民ととても深い関係であったことが感じられます。
角が毎年生え変わることから「復活」のシンボルとも見なされているそうです。
合唱曲「信じる」(谷川俊太郎 作詩)にも、
「葉末の露がきらめく朝に
何を見つめる子鹿のひとみ
すべてのものが日々新しい
そんな世界を私は信じる」
というフレーズが登場します。
こうして「鹿」が印象的な作品を並べてみると、
人々はその瞳の純粋さに魅せられるのでしょう。
今回読む村野四郎「鹿」にも、
「彼は すんなり立って
村の方を見ていた」
という一節があります。
向けられた銃口を知りながら、揺らぐことのない瞳。
人が踏み込めない「森」と人が生活を営む「村」との境目に、
木の葉や樹皮を食む「生」と肉として喰われる「死」との境目に立つ者。
この詩の舞台も昼と夜の境目である、「夕日の中」であり、
詩の最後は
「生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして」
と、光と闇の境目が描かれています。
あらゆる境目を跳び越えてしまいそうなしなやかな四肢は、
狩られる獲物ながらに「殺したくない」と人間に思わせてしまう美しさであり、
だからこそ死した姿もまた鮮烈な印象を与えるものであり。
人の村の外、異なる世界への畏怖の源には、
こちらを見つめる鹿のまっすぐな瞳があったのかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございました。
来週は田村隆一「帰途」を読みます。