【しをよむ053】安西冬衛「春」——韃靼海峡の知識はだいたいゴールデンカムイ由来です。
一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。
安西冬衛「春」
石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)
たった一行。
俳句よりすこし長く、短歌よりすこし短い、そんな詩です。
たったの一行の鍵を「読む気持ち」にさして回したとき、どれほどの色彩や感情が内から出てくるのか……。
一年間の「しをよむ」の締め括りにふさわしい挑戦ですね。
そもそもここに出てくる「韃靼海峡」は……? と調べてみました。
樺太とユーラシア大陸の間に横たわる海峡、今で言う「間宮海峡」のことのようです。
……『ゴールデンカムイ』にこの辺り出てきました!
『ゴールデンカムイ』では流氷が押し寄せ、厳寒のなか犬ぞりを走らせたり戦ったり追ったり逃げたり、という過酷な環境でした。
てふてふ(蝶々)はとてもいそうにありません。
ちなみにてふてふ、アイヌの村で待ちぼうけしているシーンで一瞬出てきましたね。
そんな厳しい冬を乗り越え、新鮮な山菜や野草が取れる時期を迎えた頃の詩が、今回読む「春」です。
1929年に出版された詩集に収録されているとすると、書かれたのは日露戦争直後を描いた『ゴールデンカムイ」のよりもしばらく後のことですね。
詩から思い浮かぶのは、荒々しい波の音と宇宙のように青く黒い海。そのうえをはたはたと飛ぶてふてふ。
モンシロチョウやシジミチョウのような、儚いほどにちいさな蝶が見えます。
潮風に立ち向かうにはあまりに非力で、むしろ潮風に流されて沖へ迷い出てしまったかのようにも見える翅。
おそらくは樺太から大陸へと向かっているところなのでしょう。
風と寒さに曝され、塩気は鱗粉を流してまとわりつき、翅を休める場所もない。
ともすれば波頭と見紛うようなちいさなちいさなてふてふが再び土に止まれる望みはほとんどありません。
けれども、そうとわかっているからこそ、てふてふが大陸にたどり着けるよう、願わずにはいられません。
春のまだ冷たい海と晴れた空。砕けるしぶきに浮きつ沈みつしながら翅を動かすてふてふ。その美しさは心をしんとさせるようです。
ところで『ゴールデンカムイ』と重ね合わせているうちに、ふと別の考えが浮かんできました。
「蝶」は魂の運び手です。
日露戦争の後に南北に分たれた樺太の人々が、『ゴールデンカムイ』の登場人物、キロランケの言葉を借りるならば「日本とロシアの間にすりつぶされた」アイヌの人々が、政治的に引かれた国境線で故郷や親しい人と引き離されていた時代。
てふてふに魂を託すことでようやく帰ることができた人も、多くいたのでしょう。
お読みいただき、ありがとうございました。
来週は中原中也「汚れつちまつた悲しみに……」を読みます。