【しをよむ070】ポオル・ヴェルレエヌ(上田敏 訳)「落葉」——ふらんすへ行きたしと思へども——

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

ポオル・ヴェルレエヌ(上田敏 訳)「落葉」

石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)

青空文庫での公開もされています。
上田敏 上田敏訳「海潮音」収録

中原中也がこよなく愛したヴェルレエヌ! ということでいつにも増して気合が入ります。

また、今週から新たな章「ことばの響きを味わう詩」に入っています。
先週までは「苦しみを乗り越える詩」でどうしても難しく考えてしまうことが多かったのですが、
ここからは好きな一節を口ずさみ、リズムと情景の純粋な美しさを楽しめそうです。

そのスタートを切るヴェルレエヌの「落葉」。
その感傷は、確かに中原中也と共通する、痛々しいまでの純粋さです。
フランスの路の石畳の冷たさ、硬さ。刺すように乾いて澄んだ空気。
街角に立つヴィオロン弾き。
想像するだけで訳もなく涙が出てきそうなほど。
「旅上」の中で「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」と詠った萩原朔太郎、それから中原中也、叙情詩人たちを惹きつけてやまないこの詩、かの土地。

「しをよむ」でこれまでに読んだ作品だとアポリネールの「ミラボー橋」、シャルル・ボドレエルの「信天翁」がフランスを舞台にした、あるいはフランス人が書いた詩です。
この「落葉」を含め、どれも物哀しく、失われた何かを追慕しています。

詩から感じ取れる空気は実際の景色と重なってはじめて会得できる。
今の時代ならばカラー写真や映像からフランスの街並みを見ることは簡単ですが、それでも空気の質感は実際に赴かなければ感じ取れません。
ましてや萩原朔太郎や中原中也が生きたのは、百年ほども昔のこと。
美しい詩を生んだ遠い地への憧れは募るばかりだったでしょう。

もしも私がフランスに行けたとしたら「萩原朔太郎が『あまりに遠し』と詠んだ地にこんなにもあっさりと行けてしまうなんて……」と感極まりそうな予感がします。

さて、話を「落葉」に戻して。
先週までの「苦しみを乗り越える詩」から「ことばの美しさを味わう詩」への切り替わりとして、この詩はきっととても劇的な役割を果たしています。
この作品「落葉」の語り手は愁いに沈んでいます。
そこには未来へ踏み出す覚悟や希望も、過去への内省も解釈もなく、
ただひたすらに美しい、「失った状態」である現在だけが存在します。
吹かれるままの落葉である自分を肯定も否定もせず、突き放すように終わってしまう。

この詩は音楽でいえば確実に短調、それも手回しオルガンやアコーディオン、それからヴィオロンのような路上にか細く切れ切れに聞こえてくる短調です。
フランスの街並にこの調べがまたこれ以上ない組み合わせなのですよね……。

詩を開き、夢の中のフランスに焦がれる。
そのもどかしい喜びを、読みながらいっぱいに感じています。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は伊良子清白「漂泊」を読みます。

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