Novelber 20th—クラゲを助けた日

 波の下にも都がございましょう……。
 平家物語に出てくるその台詞が真実かどうかはわからないけれど、波の下にも橋はあった。

 肌寒い潮風の吹く浜辺での散歩中、浜辺にひっくり返って乾きかけていたクラゲを海に戻してやったら、ほどなくして仲間を大勢引き連れて戻ってきた。
「オ」「レ」「イ」「ス」「ル」
 海面に出た丸い頭を虹色が走る。一匹につき一文字が割り当てられているんだろうか。
「ノ」「ツ」「テ」
 クラゲはみっちりと寄り集まった。巨大なプチプチに似ていた。
「これ、もしかして行き先は……」
「リ」「ユ」「ウ」「グ」「ー」
 小文字は出せない仕様みたいだ。容量不足? というか竜宮、安い。

 気持ちはありがたいけれども。行ったら三百年経っていたり、お土産を開けたら一気に老けたりするんでしょ、知ってる。
 いい断り方を考えていると、クラゲたちの虹色の明滅が速くなった。
「キ」「テ」
「オ」「レ」「イ」
「リ」「ユ」「ウ」「グ」「ー」
「タ」「ノ」「シ」「 」
 わかった。君たち、一回しゃべるとちょっと充電時間が必要なんだね。
 息切れ(のように見えた)しながらも一生懸命誘ってくれるクラゲたちが健気で、つい心を動かされた。
 行って、すぐ帰ってくる。お土産は断る。

 クラゲたちの上に乗ると、ぶにゃんと足元が沈んだ。転んだ体もぽにゃんぽにゃんが受け止める。これは……、ウォーターベッドだ。
 確実に亀の甲羅より快適だ。助けたのがクラゲでよかった。……ハリセンボンとウニは浜辺で見つけても放っておくことにしよう。

 水にもぐる瞬間は冷たかったものの、すっかり海に入ってしまうと寒さも感じなくなった。波がそよ風のように頬に当たる。
 呼吸ができないなんてこともなく、ウォーターベッドに寝そべりながら贅沢な景色を眺めているうちに、ちょっと寝た。

 ぷにぷにしたもので顔をつつかれて目を開けてみると、そこは橋の街だった。
 吊り橋がいくつもいくつも縦横無尽に架けられて、波に揺れている。魚たちがそれらの上に沿ったり沿わなかったりして泳いでいく。

 クラゲたちはひときわ広い橋のたもとで止まった。これだけはしっかりした木組で、サンゴや真珠、螺鈿の飾りがついている。
 私の下のクラゲたちがふわっと散った。
「これ、渡ればいいの?」
「ソ」「ウ」
 欄干に手をかけたところで、ふと気になった。
「どうして橋があるの? 橋の下はどうなってるの?」
 虹色がゆっくりと点滅する。ややあって、一匹のクラゲが欄干に触手をからませる。別のクラゲが、手をつなぐように一匹目のクラゲと触手をからめあう。次いで、もう一匹。もう一匹。
 ゆらゆらと、実に頼りなさそうなクラゲロープができた。

 いちばん端のクラゲがそっと橋の下へと泳いでいく。
 と思った瞬間、その姿が見えなくなってクラゲロープがピンと張った。
 流されそうになるクラゲたち。踏ん張っているクラゲたち。
「ちょ、ごめん! わかった!」
 あわててクラゲロープを引っ張る。
 ようやくクラゲたちを回収したときには、手のひらがジンジンとしびれていた。
 ……全部いるかどうかは、自信がない。

 なるほど、急流を避けて通るために橋をかけているらしい。
 クラゲたちは今度は頭上を指した。
 海草を編んだ吊り橋を透かして、ビュン、ビュン、と黒い影が飛んでいく。
 あれはもしかしたら、本マグロ。……は一旦考えないことにしておいて。
 あっちはどうやら、速い魚専用の橋、地上で言うところの高速道路のようなものみたいだ。

 鯛やヒラメの舞い踊り、というフレーズを思い出す。
「おいしそうは禁句」と自分に言い聞かせた。

 クラゲたちが遠慮がちに腕を引く。
 木組の豪奢な橋の上。衣をふわりふわりと遊ばせ、重力を感じさせない足取りで近づいてくるのは、竜宮城の主に違いなかった。

Novelber 20 お題「橋の上」

※お題は綺想編纂館(朧)さま主催の「Novelber」によります。

当面、サポートいただいた額は医療機関へ寄付させていただきます。 どうしても稲見晶のおやつ代、本代、etc...に使わせたいという方は、サポート画面のメッセージにてその旨ご連絡くださいませ。