【しをよむ085】吉増剛造「祭火」——誕生と同じくらいに劇的な変化。
一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。
吉増剛造「祭火」
石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)
ぐつぐつと泡立つ生命が迫ってくるようです。
こんな死骸を夢みていたのか
こんな死骸を求めていたのか
おお おれの死骸は燃焼不完全
と、冒頭で「死骸」を執拗に唱えるにもかかわらず、
それは蠢き、うねり、ごぷりごぷりと音さえ立てています。
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かゝって
完全な死体となるのである
と記した寺山修司、
「ホラホラ、これが僕の骨だ、」
と詩「骨」において語り出す中原中也。
かれらの「自己の死体」への乾いたユーモアとは逆に、
この「祭火」は死んでなお、荒々しい「いのち」にあふれています。
有機物をどろどろに溶かしこんだ液体から命が生まれてくるのと対になって、
死んだ命はどろどろの有機的な液体へと帰っていく。
死んだ肉を獣や鳥や虫や微生物が食べ、その子供たちが生まれてくる。
そして強い魂が、内側から身体を喰い破って、物凄い光と轟音で宇宙を裂く。
まるで龍の背にしがみついているような感覚で。
この詩から出てきたイメージとして、もうひとつ。
鯨骨生物群集。
クジラはとても大きいので、死んだ後にその死骸を中心とした生態系ができるそうです。
博物館でその存在を知って以来、不思議とずっと引きつけられています。
クジラの死骸が徐々に食われて、あらゆる組織が波にさらわれて、骨だけになってしまうまでの間に、ちいさな命が幾巡も幾巡もめぐっていくというのに途方もないロマンを感じているのだと思います。
すべてが深海でおこなわれるからでしょうか、グロテスクではあるのでしょうが、神秘的で美しい光景に見えます。
命が生まれて死んでいくのは、深海、あるいは宇宙。
途方もない暗闇はきっと生死とつながっていて、
それだから怖くて、不安になって、けれども考えずにはいられなくなってしまうのでしょう。
お読みいただき、ありがとうございました。
来週は新川和江「わたしを束ねないで」を読みます。
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