【しをよむ101】宮沢賢治「雨ニモマケズ」(2回目)——よんごう、しごう。
一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。
宮沢賢治「雨ニモマケズ」
(田中和雄編『ポケット詩集』(童話社)より)
青空文庫での公開もされています。
宮沢賢治 〔雨ニモマケズ〕
今回から新しい詩集を使っていきます。
私の中では勝手に Season 2 と呼んでいます。
なお、これまでに読んだ作品が収録されている場合は再読します。
読むタイミングによって印象や感想が変わったりするかもしれません。
Season 2 最初の作品は、宮沢賢治「雨ニモマケズ」です。
さっそく再読作品です。
1回目の「しをよむ」はこちら:【しをよむ009】宮沢賢治「雨ニモマケズ」——生と死と理想をまっすぐに見つめる。
前回までの『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』は
いわば「大人が改めて詩を読み返す」ための詩集で、脚注に作者紹介等が記されています。
今回からの「ポケット詩集」は、「子供が初めて触れる」ための詩集で、
あるのは題名、作者名、本文。余白が余白として存在しています。
漢字や英語にはすべてルビがふられています。
「ポケット詩集」ではこの「雨ニモマケズ」にもルビがあり、仮名遣いも現代のものに改められています。
音読するとその差異はほとんど分からなくなりますが、見た目の印象はだいぶ異なっていて面白いです。
ここでは
「一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ」
の「四合」は「よんごう」とルビがふられています。
「しごう」か「よんごう」か。
読み手によってしっくりくる感覚が変わりそうなのと、
宮沢賢治が考えていたのはどっちなんだろう、と気になるのと、
これだけでじんわり考えに浸れそうです。
ちなみに以前にも話題に挙げた千原英喜作曲の合唱曲「雨ニモマケズ」では
「"シゴウ" かもしれないが」と注記した上でこれを「よんごう」と歌わせています。
「よんごう」と、「ん」を入れることでその後の「ご」の鼻濁音が柔らかく響くから、でしょうか。
第二次世界大戦後には「四合」が「三合」に書き換えられたそうなので、
「三合」で覚えた世代の人たちにとっては「よんごう」読みのほうが
知っている響きに近いのかもしれません。
(参考: https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000110959)
私の個人的な好みでは、音読のときは「しごう」、合唱のときは「よんごう」です。
「しごう」はさらりとした慎ましさのあるイメージ、
「よんごう」はたっぷりと恵みを頂いているイメージ。
粒のしっかりした固めご飯か、もっちり軟らかめご飯か、みたいな違いです。
余談ですが、「玄米四合」がどのくらいの量かを見つつ、
「玄米四合と味噌と少しの野菜」を食べる一日を再現してみようと思っているのですが、実行の機会がなかなかありません。
野菜……、この時期だと白菜や根菜でしょうね。煮物や汁物、あるいはお漬物。
畑はないので、その分の働きは大掃除でするのがよいかもしれません。
実現できた暁には、たぶんTwitter でご報告すると思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
来週は茨木のり子「聴く力」を読みます。