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「あなたの好きなようにして欲しい」の罠

「ナオちゃんの好きなようにしてほしい」夫には結婚前にこう言われていた。だが、結婚後、いざ私の好きなようにしようと試みると、どうやら夫には負担がかかっているみたい。

「前にそう言っていたよね?」と確認したら「程度問題」と返ってきて、なるほど、お互いのキャパと前提条件が違ったな、と悟った次第。

夫からすると、自分が思っていたより私が自由だったと言うことになるし、私からすると、夫は私の自由さをわかってくれての発言だと思っていた、というね。

うちには4歳の子どもがいる。とてもかわいい。憎たらしいときもあるけど、総じてとてもかわいい。この子が生まれてきてくれてとても幸せだ、という前提ありきでの話だけれど、私は同じくらい自分の時間を大切にしている。


子どもが小さいうちは全力で子どものために生きる、という親御さんたちがいる。

それは本当に素晴らしいと思う。でも、私自身は、自分がまず全力で自分を生きないと、子どもにも全力になれないところがある。

いつもしんどそうで、疲れた顔して長時間子どもの相手をするよりも、保育園から帰ってきてから寝る前の短時間、もしくはお休みの日に時にじっくり、時にはあっさりでも私が楽しそうなところを見せつつ、一緒に楽しめたらいいな、と思う。

私がネイルに行くのも、美容院に行くのも子どもは仕上がりを見るのを楽しみにしてくれている。少し前までは行ってほしくない、とお出かけ前に泣かれたりしたけれど、そしてそれも全力で子どものために生きている親御さんからしたら、かわいそう、と言われてしまうかもしれないけれど。

上には上がいるけれど、夫は子どもに結構手をかけている。
保育園のお弁当は必ず夫が作るし、離乳食だってたくさん作って小分けにして冷凍してくれていた。
リクエストに応じて絵も描いてくれるし、なかなか面白い紙芝居まで描いてくれていた。

それなのに、娘のパパイヤ期は結構長かった。

正しくは、お父さんが嫌なのではなく、圧倒的、絶対的にお母さんが良かったというだけなんだけれど。

けれど私は、お父さんと二人で過ごす時間も大切にしてほしいし、もっともっと仲良くなって欲しい、と思っていたから、泣いている子どもを置いて出かけた。

夫は、とても共感力が高いんだと思う。泣いている子どもを見ているのが耐えられなかったんだろう。だから、私の一人外出が増えることにいい顔をしなかったんじゃないかと私は思っている。

しかしながら。そんなときを経て今。

夫と子どもは仲良しだ。私が留守にしたときには、一緒に図書館に行って紙芝居をたくさん借りてきたり、ブルーシートを広げて大きな紙に絵の具で絵を描いたり。

子どもはたくさんの時間を一緒に過ごすことで、徐々にお父さんの良さがわかってきたのだと思う。

「だから、良かったんじゃない?」と言う私に、「調子こいてるな~」と言った夫の顔が明るかった。

とは言え、私は言葉を良くも悪くも言葉を額面通りに受け取ってしまいがちなので、口は悪いけど気遣いしぃの夫に甘えすぎてはいけないという戒めをこめて。

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ナオミ・ナゲット
記事を読んでくださってありがとうございます! あなたにくすっと笑ってもらえたり、ちょっと肩の力が抜けたりしたら嬉しいなぁ、と思います^^