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ぜったいに忘れたくない
さっき話していて気づいた。
若かった頃、世代でくくられるのが苦手だった。
「今の子はそうなんだ~」「若い子は~」って面と向かって言われるのに違和感を感じてた。
多分、世間一般に馴染めてない、異質な自分を嫌悪していて(別に異質では無い)、あ、う、自分はそうだけど私の世代のみんながそうなわけじゃな…みたいな思いとかがあった気がする。
でも、今思うとたぶん
主語をそう言うでかい括りにして 面と向かって話をされるのは、失礼?な気がするな。
私よ、いまあなたの目の前にいるのは。
20代前半、すごく好きな歳上の、自分の母親と同じくらいの年齢の女の人が職場にいて、
すごく、すごく、可愛くて頭が良くて、好きだった。
その人は、今思い返すと、
私の事を名前で呼んで
名前を主語にしてくれていた。
若い子は、なんて言わなかった。
たぶん、大事なんだろうな。
世代がどうの、とかではなく
個として向き合う事が。
世代でくくられると
拒絶されているように感じる。
私とあなたは違いますよとはっきり。
確かに、違うのだけれど、
人って自分と似てるなって思うところに親近感をわき、好きになる。
若くて繊細だったあの頃は、世代の違いを明確にされる事が、壁に感じた。
かといって、踏み込まれても違う気がする。
いや、知らんし、となるにはなると思う。
難しいよね、経験してきた事が、生きてきた時代が違うと、考えた方もまるきり違う。
相手の生きてきた時代を知ること、見てきた世界を知ること、知ろうとすることは大事。
私も、「今の高校生って~?」って少し言いがち。私たちの時とどう違うんだろう?って思いがあるから。
でもそれで、大きく括って相手をそこにあてはめて終わり、ではまずいかも。
個々として、相手を見ることを、
あんまり私は忘れたくないし、
この先も名前を呼んでくれる人を
好きになると思う。
見出しの画像は
さっき食べた餃子🥟
皮は粉から、肉はミンチにする所から作ると、うまいんだ…。
酢胡椒派