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秋田禎信『ベティ・ザ・キッド』上・下(角川スニーカー文庫、2010年)

 新年早々、ふと読みたくなって10年前に出たライトノベルを読み返した。やっぱり面白い。『魔術士オーフェン』シリーズの秋田禎信による、男装の少女ガンマンの復讐劇かつ、ハードボイルド西部劇SF。じつはトランスヒューマンものでもある。

 主人公が弱いところがいい。何かひとつミスを犯せば命を落とす過酷な環境のなかで、弱い者がどう生き抜くか。先史文明の遺産である高性能戦車、死を偽装して過去を捨て去った伝説のガンマン、見えないものを見通す先住民との混血児という反則じみたメンツが脇を固めてはいるが、どこかギリギリのリアリティがある。
 主人公の仇である賞金首・ロングストライドの人物造形も見事だ。褒められるようなことはひとつだってしないくせに、憎めない。ロングストライドにはロングストライドなりの行動原理があり、それを最後まで貫き通す。ある種の美学があり、哲学がある。こいつの旅の終わりもちゃんとケリがついていた。
 20歳までに20人のガンマンを決闘で葬り去り、その経歴="トゥエンティ"を最後に殺しをやめた天性の人殺し。娼婦を殺し、自分の過去を捨てた男が名乗る新たな名がウィリアム・ブレイクというのはやっぱり『デッドマン』なんだろうな。しかしこの男、深井零よりも特殊戦の適性がありそうである。砂漠と戦車で思い出される『完璧な涙』の主人公よりははっきりと感情があるが。うすぼんやりとした男だが、そのうすぼんやりとした意識にこそ彼の悲劇は根差している。きっと死ぬまで殺人鬼の本性は磨滅することなく在り続けるだろうが、全身全霊をかけて彼は抗い続けるだろう、混濁する意識の中で。


 世界観も興味深い。大陸はそのほとんどが砂漠に没し、点在するわずかなレインスポットを入植者(ペオポルス)は先住民(シヤマニ)から奪い、しがみついて暮らしている。しかし高度な文明はすでに失われ、入植者たちが作り出せるものはせいぜい拳銃程度だ。そしてロストテクノロジーとなって久しい高度文明を築き上げたのはかつての先住民たちだった。シヤマニ文明が海にも空にも一切関心を持たず、ひたすら戦車を改良し続け、砂粒に目を凝らし続けたことが気になって仕方ない。この砂漠で貴重なものは水と木材、惜しくないものは他人の命。ガンファイトや戦車による戦闘シーンは一見派手だが、生活レベルはじつは非常に貧しい。描写がいちいち批評的だと思う。
 先史シヤマニ文明最大の遺産・ヘヴン。それぞれの旅の終着点。精神的特異点に到達したトランスヒューマンたちの次元。でもこれ、溶けあっているわけではなくて多分個のままなんだよな。「天国帰り」の連中は、ウィリアム・ギブスン「辺境」の宇宙飛行士たちをマイルドにしたような感じ。個人的に「崇高」に遭遇する話が好きなのだが、『オーフェン』にしても『エンジェル・ハウリング』にしても『シャンク』にしても、秋田禎信はこちら側とあちら側の相克を一貫して描き続けているのかもしれない。
 砂の使い方なんかも気になる。『オーフェン』もそうだが、これもやはり信仰とはなにかという思考実験のように思う。聴覚ではなく、きわめて視覚的な世界観なのも興味深い。
 それにしても、「ロード・トゥ・ヘヴン」ではなく「ロード・トゥ・スタリーヘヴン」なのが肝だ。片道切符であちら側へ行ったきりになるのではない。はじめから「往きて還りし物語」として定められていたことが最後のページで鮮明になる。

 帯にも「ライトではないライトノベル」というようなことが書かれているが、これをライトノベルと言っていいのか悩ましい。正直ちゃんと読んだライトノベルは秋田禎信作品くらいなので、90年代に全盛期を誇ったような作家たちがある程度まともな文章を書いているのはわかるがそれ以降は知らないし、シーンをよく分かっているわけじゃない。しかしその賞味期限の短さが悲しい。やはりこういうものをもっと論じていかなければならないよなと思う。秋田禎信作品も数年のうちに定価では買えなくなってしまうものが少なくないのだが、非常によくない。『ベティ・ザ・キッド』も早川書房から出ていてもおかしくないSF小説だし、そうであれば今でも本屋で買えていただろう。表紙や挿絵もベティがキッドに見えないので好きじゃない。売るためには仕方ないんだろうけど、これで売れてないのだからやはりなんとかしてハヤカワから復刊されたりしないだろうか。20年後のエピローグを入れようか迷ったがやめた」と言っていたのでそれを入れて。しかしわりとSFも書く人だし、SFも上向いてきたので早川書房と仕事をしてほしい。


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