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修羅と祖母と



先日、実家の祖母が亡くなった。急逝だった。
とはいえ元々、身体が丈夫ではないにも関わらずタバコやお酒を毎日嗜むような人ではあったので、いつ何が起こっても不思議ではなかったが。

思い返せば祖母という人は、度を超えた意地悪ばあさん──いや、もっともっと酷い「修羅の人」であった。


祖母の55歳の誕生祝いにホールケーキとメッセージカードを渡した時のこと。


普段から料理に特別こだわっていた祖母の為にと、母はどこかのエライ賞を獲った高いケーキを用意して、当時5歳だった私はそこに精一杯丁寧な字で「おたんじょうびおめでとう」と綴ったカードを添えた。
「絶対に喜んでくれる」──そう信じて夕飯の時を待っていた私に、祖母はあろう事か「こんなどこの店(もの)か分からんもんが食べられるか」と一蹴。さらにメッセージカードには「ここの字が間違っている」と赤ペンで添削し始める始末……当然、まだ幼い私はボロボロに泣き崩れた。
しかし泣けば泣くほど、祖母は「泣くな」と言って私をつねりあげたものだから、余計に泣き叫んだことも覚えている。
(他にも色々なエピソードがあるが、横道に逸れるため割愛させてもらう)


しかし私が認識している限り、彼女は怒りの矛先を一度たりとも「男」に向けた事はない。
男に甘く女に厳しい──彼女にとって「女」は都合の良いサンドバッグであった。


そんな「修羅」と物心つく頃から共に暮らしていたのだが、私が社会人になって家を出て数年が経つ頃には態度が一変した。
年に一度家に帰れば二言目には「仕事は大変か?」と心配し、結婚出産職場復帰とライフイベントを立て続けにこなす私を見て「アンタは頑張っている」と褒めるのである。
……あまりの変わりように喜びを通り越してもはや恐怖を感じていたが、その謎はすぐに解けた。

そのころパートナーと生まれたばかりの子どもと共に兄が実家に移り住んだばかりで、祖母は彼女をいびる為に私や母を過剰に持ち上げていただけにすぎなかった。
要するに、祖母は私たち以外に真新しいサンドバッグを見つけたのである。
私は彼女のいびりを止めようと何度も何度も大きな喧嘩を繰り広げたが、結局、兄が仕事の都合で地方に移り住むまで続いていた。

そんな「修羅」が亡くなった。その話を母から聞いた瞬間、これまでの濃密な時間が永遠に続くと思ってたからか、まるで実感がわかなかった。
悪い奴ほど死なない──そう思ってたのかもしれない。


葬儀は明後日。

最期の姿を見たら、その気持ちは変わるだろうか。

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