AI時代におけるコンテンツの価値とは? - 毎日生成AIを利用する私が考えたこと
はじめに
私は毎日生成AIを活用して、文章や画像を生成しています。その中でふとこのポストが目に止まり、私もAIについて考えました。
確かに、文章や画像など、クリエイティブな分野でAIの進出が目立ちます。一方で、AIは洗濯したり食事を作ってくれたりはしません。ポストの主題とは少し異なるかもしれませんが、二次元的な文章表現、視覚表現はAIによって網羅されてしまったのだろうか?と、ふと疑問が浮かびました。そして、私はそうではないと考えました。これについて、文章と画像の2方面から意見を述べます。
文章について
例えば執筆において、生成AIは非常に優秀で、文章構成力が高く、まとめ上げる力に優れています。ただし、どのような視点や意見で記事を書くかは人間に委ねられています。ここに人間の介入余地があると考えます。考えなしにAIに丸投げしてしまうと独自性が失われ、価値のない記事の粗製濫造につながります。
例えば私のnoteでは、メインの意見に対して必ず反例を示すようにしています。反対意見も提示することで、多様な意見の中から自分の頭で考えて、自分の意見を持てるように工夫しています。これにより、読者も単一の視点に囚われず、多角的に物事を捉えることができるのです。
さらに、人間には感情や経験に基づいた共感力があります。AIはデータに基づいて文章を生成しますが、読者の心に響く文章を作り上げるためには、人間の感情や経験が欠かせません。例えば、人生の喜びや悲しみ、驚きや感動といった感情は、人間の体験からしか生まれないものです。これらを文章に織り込むことで、読者に深い共感を与えることができるのです。
画像について
生成AIは、人間が描いたイラストと見分けがつかないほどクオリティの高い画像を生成してくれます。二次元に色を並べた表現はAIによって網羅されてしまったのでしょうか?こちらも私はそうではないと思っています。
生成AIの画風は参照元に依存します。ある特定の画風を参照したいと思ったら、その画風の画像を集めて学習させる必要があります。すなわち、画風には独自性があるのです。ここはいつまでも失われない要素であると考えます。例えば、日本の浮世絵やヨーロッパの印象派のような独特のスタイルは、その時代や文化、人間の感性から生まれたものであり、これを完全に再現するにはAIの力だけでは不十分です。
また、アートにはメッセージ性が重要です。アーティストがどのような思いで作品を作り上げたのか、その背景や意図が作品に込められています。AIは既存のデータを基に新たな作品を生成することができますが、その背後にあるメッセージやストーリーを自ら考え出すことはできません。ここでも人間のクリエイティビティが必要とされるのです。
私の視点
AIの進化により、クリエイティブなコンテンツ生成が驚異的に進化しているのは事実です。しかし、視点や意見、独自性は依然として人間が担うべき部分であり、これがコンテンツの価値を左右する重要な要素です。AIを上手に活用しつつ、人間の持つ独自性を最大限に発揮することで、価値あるコンテンツを創り続けることができるのです。
AIはツールとして非常に強力であり、クリエイティブな作業を効率化し、新しいアイデアを生み出す助けになります。しかし、そのツールをどう使うか、どのような方向に向けるかは人間次第です。私たちがAIに頼りすぎず、自分たちの独自性やクリエイティビティを維持し続けることが重要だと考えます。