なかなか仲良くなれないモチベーションという存在について
私が働いている会社では、モチベーションサーベイなるものを定期的に実施している。
業務量はどうかとか、前向きに業務に取り組めているかをチェックするもので、人事や管理職はそれを見て組織運営を考えているらしい。
突然雨模様になったり、芳しくない答えを書いている人は人事からお呼び出しがかかり、現状を確認する面談に案内される。
人事面談に案内されたときには、もう手遅れであることが多い。
実際、私は業務過多と上司の求めるクオリティにこたえることができず、からだを壊して休職したことがあるのだが、その直前に人事からのメールが届いたのをよく覚えている。
けれど、もうそのときには限界に近く、疲れから眼が曇りきっていたので、「会社に味方は誰もいないのだ」と思い込み、人事のメールも皮肉か何かだと思って無視してしまっていた。
仕組みや科学で解決できることは、水面から顔を出している氷山であり、船を座礁させる大きなかたまりには気づけないのだ。
反対に、「何かあやしい」「何か普段と違う」と気付くのは人だからであり、もう人間に期待されるのはそういった曖昧で言語化できない何かなのかもしれない。
サーベイについて思い起こしたのは、とあるチームのメンバーのことを思い起こしたからだ。
もう同じチームではないが、私より年下だった彼女は2社目で上司の私と出会い、新卒同然だった本人にとって飛び交う言葉やフィードバックひとつをとっても新鮮だったらしい。
けっして器用なタイプではなかったが、まっとうに努力家で前向きだった。
最年少でありながらチームを盛り上げ、先輩の業務量を気遣い、他部署の関係者とも仲良くするのが上手で、とりあえず何かを相談してみたい、と思わせる要素を持っていた。
たまに垣間見える家族との関係は極めて良好。
業務に関するフィードバックをした際は、受け止めつつ、何かを見つけて少しだけ嬉しそうな顔をする。
幸せな家庭で育ち、なおかつ適度に自立し、社会の荒波に溺れたりサーフボードを拾ってきて乗ったりしてきたんだろう、と感じさせた。
何より彼女が飛び抜けていたのは、サーベイの結果がダントツに高かった。
偏差値でいうと70~80に近く、模試でとったら間違いなく踊り狂うレベルのスコアだった。
私はそれを見るたび、自分よりもモチベーションが高いことを知って驚き、少し恥ずかしくなり、そして尊敬した。
モチベーションを上げるための面談とかレクリエーションとか、企業の「傾向と対策」による手法自体は色々やっていたが、あまりにも想定外の高さだったのだ。
明らかに、自分が上司として関与したわけではなく、本人がモチベーションを維持する性質をもっているとしか思えない。
モチベーションを保つことも、社会人の作法のひとつだ。
毎日気分が上がり下がりすると、上司も部下もなんだか扱いづらい。
「モチベーションを上げたい」という概念自体捨て去った方が良い、という人すらいる。
手を動かした分、後からモチベーションがついてくるという考え方もあるし、そもそも自分でうまいこと自分を手なづけてなんぼ、という考え方もある。
こころとからだの二元論というか、どんな従属関係とみなすか、という問題の気もするが、彼女の場合はそもそも才能としてモチベーションを保つすべをもっているのだろう。
昨今管理職の立場のリスクは高まっている。
厳しい言葉を伝えるとハラスメントになる可能性があるし、メンバーの上昇志向は明らかに例年と比較すると下がっている。
仕事についても、自分がプレイヤーだった時代の手法が通じない可能性が高く、トレンドやナレッジは日々刻々と変化していく。
本質的なところは変わらないにしても、管理職よりメンバーの方が専門的な知識や勘所をもっている場面が増えていくだろう。
ある意味「邪魔しない」が「適度に本質をとらえる」ことが仕事といってもいい。
逆に言えば、メンバーにとってもただ仕事をするだけでは、成長する機会を知らない間に失っている可能性があるといえる。(本人が成長を望む・望まない関係なく)
本当に一皮むけたい人は、周囲の人にその意思を伝えたり、踏み込んでもいいと開け広げるという一手間が必要になる。
お互い、逆ヤマアラシのジレンマだ。
そんなことを考えながら、今日も頭痛ーるを見てモチベが低い言い訳を考えている。