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クローゼットの君へ

昨晩、前職の上司と会う夢を見た。
声をかけるのもためらわれるくらい怯えていて、数年間顔も合わせていない彼はいつでも表彰台に立っているかのように堂々としていた。
喉から名前を絞り出そうとした瞬間、声が枯れて、自分がどうしようもなく彼よりも下にいるのだと思い知り、ゲームオーバーと表示される代わりに夢は切り替わる。
そこで私は敵に内蔵を切り裂かれる数秒前に、朝6時のベッドの上に戻ってくることになる。
心と身体が不可分ならば、その夢の前半と後半もオーバーラップする。
前職から離れて何年も経った今も、心と身体が突然によりあわされて引き絞られる夢から逃れられることはない。

私はその上司と、望んでいた仕事を、尊敬すべき人々と一緒に進めていた。
同期と比較して多少給与や立場は劣っていたとしても、自分の希望が叶えられる場所にいると感じていた。
全能感まではないけれど、自分で自分が舵取りできている感覚。

通勤の通過地点である新宿駅を歩くと、いつも思い出す。
ジェットコースターのような流れに身体を縛り付けて、前に前に進もうとしていたときを。
肌の表面が電気ショックを受けているように文字通りピリピリしていて、神経を張り詰めて生きてきたときを。

予兆はあった。
病院に通って睡眠薬を飲んだり、仕事帰りにアルコールを大量に飲んだりしていた。
夜寝ようとしても身体が休まらず、毎晩のように金縛りにあった。
身体がベッドの上に縛り付けられているような感覚のとき、あわせて腹の内臓がまさぐられ、かきまわされるような気持ちの悪い感覚に陥った。
あれは、今思うと何だったのだろう。
毎日、毎晩、望んでいたスリリングで難易度の高い仕事に取り組めていたはずなのに、毎日、毎晩、私は私にがんじがらめにされ、殺されていた。

そんな調子で仕事が続くわけもなく、新宿駅が通勤のためではなく、通院目的に一本化されたのもすぐだった。
私は睡眠薬を飲みすぎて無断欠勤し、目が覚めたとき見に覚えのない言葉の羅列のメッセージを知り合いに送っていたことを知り、事の重大さに気付かれた。
もうこの身体は、自分では操縦することができない。休もう。

残念ながら休んでいる間も金縛りや寝心地の悪さは続いた。
最初の1週間は寝るのもやっとだし、起きている間もなんだかずっと薄暗く感じた。
職場に置き残した仕事とクライアントのことを思った。
あの仕事は誰が進めているのだろうか、あの大好きなクライアントにはもう2度と会えないのだろうか、心配かけていたらどうしようか…
少し元気になると、ネトフリを見まくったり、社会人講座に通ったり、Twitterに精を出したり、なんだかんだ充実した毎日を送れるようになっていた。
1ヶ月経つと、休むことが自分には必要なのだと理解できるようになった。
ここまでが辛く、長い時間だった。

今そのときのことを思い出したのは、クローゼットの中で自殺した俳優のニュースを目にしてしまったからだろうか。
彼もまた、自分の身体をうまく操縦できなかったのかもしれない。
暗いクローゼットの中から、明るく安らかな場所に向かったことを祈るのは、まるで新宿駅で、ベッドの中で、夢の中で動けなくなっていた自分に祈るかのようで、声を出さずに泣いた。

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