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Oze Nature Interpreter-自己紹介-

Oze Nature Interpreterって一体何?
怪しいな
と思った方もいるのではないでしょうか?

私自身、正直この肩書きを付けて活動して行って良いのか
戸惑っている日々。

今回はなぜこの肩書きを付けたのか、
そのお話をしたいと思います。


”自然”に興味をもったきっかけ

遡ること約20年前・・・

小学生だったわたしは夏休みにみなかみのとある川に遊びに来ていました。
わたしは群馬県出身で毎年夏休みには
みなかみで川遊びをするのが恒例でした。

その日、川遊びの支度をしていざお馴染みの川に向かうと
いつもとまったく違う光景が広がっていました。

鬱蒼としていた木々や
今まで足をとられて歩きづらかった砂や泥がなくなり
足元には石や岩が敷き詰められ、視界を遮る木々がなくなっていました。

わたしはここで
”あれ?とってもきれいになっているけれどここにすんでいた生き物たちはどうなったんだろう?”
”木々はどこへ行ってしまったんだろう?”
と今までそこにあった自然たちのことがとても気になったのです。

それからというもの、
”自然”についてたくさん勉強する子供になっていました。

とくに興味があったのは”自然保護”について。

学校の帰り道には友達と一緒にごみを拾って帰るようなこともありました・・・(友達にしてみたら良い迷惑ですね・・・)

尾瀬高校との出会い

群馬県立尾瀬高等学校はわたしの母校。

この学校との出会いは、
高校進学についていろいろと調べていた中学3年生のときでした。

高校進学を考えるお年頃になると
「群馬県の高等学校」という
群馬県内の高校がすべて載っている冊子が配られるのですが
その中で”自然環境科”の文字があるのを発見。

絶対この高校へ行く!と決めたのが尾瀬高校でした。

当時は”尾瀬”を全く知らず、
ただただ自然を学びたかったからこの学校を選び、
尾瀬のことは進学を決めてから図書室の本を借りて勉強をしました。


尾瀬高生時代

尾瀬高校の授業には周辺の自然の中で行う授業があり、
もちろん尾瀬に行くこともありました。

ただ、当時は尾瀬にはそこまで興味はなく
積極的に尾瀬の勉強をする、というよりは
さまざまな課外活動に参加することの方が楽しく、
また、尾瀬高校周辺の身近にある自然を感じることに
とても幸せを感じていました。

制服のまま、近くの川に遊びに行ったことは今でも良い思い出です。

クラスメイトには尾瀬周辺地域の生徒も多く、
友達の話を聞いていると
いろいろな地域にさまざまな文化が根付いていることに興味が湧き、
そのことを調べたりしていました。
そう、尾瀬高生の時には尾瀬よりも
この地域のことに興味のある学生でした。


音響の専門学校へ

その後、なぜか音響の専門学校へ。

家庭の事情で
新聞奨学制度を利用しなければ進学できなかったため
実習のある自然関連の学校への進学を諦めたのです。

自然関連の学校では実習が多いため、夕刊の配達に間に合わない。

とても悔しかったけれど、頭を切り替えて
小学生の頃からクラブや部活でやっていた
音楽関連の専門学校に進学することにしました。

専門学生のころにはすっかり東京の生活に染まり、
尾瀬のことなど忘れていました。


尾瀬を思い出した就職活動

もともとそんなに興味のなかった音響業界。

そのせいもあるのかなかなか就職活動がうまくいかず
どうしようかなぁ・・・と思っていた時、
ふと頭に”尾瀬があるから大丈夫”と浮かんだのです。

自分でも不思議でしょうがないのですが
本当に”ふと”思い出しました。

そしてここからわたしの尾瀬に関わる人生は始まったのです。


ビジターセンターで初社会人

”尾瀬があるから大丈夫”と頭に浮かんですぐに
【尾瀬 求人】と調べたことを今でも覚えています。

山小屋さんの求人
尾瀬周辺地域の尾瀬とは関係のない求人
そして”ビジターセンター”の求人

【自然解説業務・巡回・トイレ清掃】

「え?自然解説!?やりたい!」

自然解説は尾瀬高校でも実習でおこなっていました。
意外と好きなことだったので、
この文字を見て絶対やりたい!となったのです。

そして迷わず応募。

初社会人の仕事は尾瀬のビジターセンター職員に決まりました。

5月〜11月の間、ビジターセンターの職員は
尾瀬に住んで共同生活をします。

このことはわたしの価値観や考え方を
大きく変える出来事となったと同時に
尾瀬で生活したことによって、
わたしは尾瀬を心から好きになりました。


ガイドには向いていない

ビジターセンター職員として勤務したのは5シーズン。

それからガイドもやってみたいと思い、
尾瀬認定ガイド資格も取得しました。

尾瀬にはたくさんのガイド団体があり、
ガイドさんの数もとても多いのです。

しかし、わたしはなんとなく
”向いてないかも”
と思うようになっていました。

わたしはビジターセンターで行っていた
自然解説の業務がとても好きでした。

お客さんたちもわたしの解説を聞くと、
「まいさんのお話は面白いね」
「もっと聞いていたいよ」
「とても話すのがうまい、楽しかったよ」
とありがたいことにそう言ってくれるのです。

わたしは、尾瀬が持つストーリーを話すのが好きなだけ。

ガイドさんの一番大切な仕事は
”お客さんを安全に時間通りに目的地に連れて行くこと”

わたしは尾瀬のことが好きすぎて、お話をし過ぎて
とてもガイドさんの一番大切な仕事を果たせそうにない・・・

そう気がついたのです。


Oze Nature Interpreterの肩書き

尾瀬にあるストーリーを伝えていきたい!

そう思ったのは良いものの、
個人でこの活動をしていくのは難しいなぁ・・・
いつかできたら良いなぁ・・・
そう思いながら尾瀬の仕事とは距離を置き、
まったく関係のない仕事をしていました。

ただ、尾瀬に久しぶりに行くと
なんとなく泣きたい気持ちになる。

それは
”なんでわたし、ここにいないんだろう”
という悔しい気持ちからでした。

尾瀬に行くと
「まいちゃんは尾瀬にいるべき人だよ!」
「なんで尾瀬にいないの!もっと来なきゃだめだよ!」
と社交辞令かもしれないけどうれしいことを言われたりする。

そんなこんなでまた尾瀬に行くようになりました。

幸いわたしの仕事は完全リモートワーク。

そのため、もはや電波を気にしなくてよくなった尾瀬でも
仕事ができるので、山小屋さんの仕事を手伝いながら
居候のようなことをしていました。

なんとなく、ここでお客さんに自然解説ができたら良いな、
そう思っていると、山小屋のご主人に
「雨の日とか夜とか、スライドショーみたいなこと、
やってくれないかなぁ」
と言われ、そこから”尾瀬のお話会”を
夕食後に行うようになっていました。

本当にありがたい機会をいただいて感謝しています。

さてさて、
本題のなぜ”Oze Nature Interpreter”と肩書きを付けたのか、
ですが
それは山小屋のご主人に
「なんか肩書き、あった方が良いんじゃないの?」
そう言われ、そっか、じゃあ考えてみよう、とできたのがこの肩書き。

Inerpreterとは本来、通訳者の意味がありますが
自然業界では”自然と人との間に立って解説をする人”の意味があります。

つまり、自然のことを人に伝えていく人。

これからInterpreterとして
たくさんの人たちに尾瀬のストーリーを伝えていきたい。

自分ができることからこつこつと
少しずつではありますが活動していきたいと思っています。

2023年 尾瀬のお話会に参加いただきました皆様 ありがとうございます!

※「尾瀬日和」としても情報発信をしていきますので、
尾瀬日和のnoteもよかったらご覧ください!


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