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徒然草で意識を変える、「丁寧に暮らす」こと

「つれづれなるままに、日暮らし、硯すずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」

日本三大随筆の一つ、兼好法師の「徒然草」の冒頭。義務教育で習い覚えたこのフレーズは、大人になっても記憶に残っている人もいるのでは。


徒然草の三十二段を知り、「人に見られていない時でも、丁寧に、穏やかに過ごしたい」「人の目がなくても、恥ずかしくない生き方をしたい」と思い、背筋をちょっと意識するようになった話。



九月半ば頃、兼好が友人と月見散歩をしていた。散歩途中、友人がかつて親しくしていた女性の家へ行き着き、訪ねる様子を兼好が少し離れたところから見ていたエピソード。

(原文)荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうちかをりて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。

「草が伸び、夜露が滴る庭。男(友人)を迎え入れるために慌てて焚いたわけではなく、元から焚かれていた自然な香りがほんのりと漂い、忍びやかな様子は誠に良い感じである。」


庭は少し手入れが行き届いていない感じで、経済的にもそれほど余裕のある生活ではなさそう。それでも、お香をくゆらせ、品良く暮らしている。しかも、突然の訪問にもかかわらず、だ。兼好は、男が訪ねてきたからと慌てて取り繕うことなく上品な風情で出迎えた家に住む女性に対して、日頃から優美に暮らしていることを感じ、好印象を受ける。


(原文)よきほどにて出で給ひぬれど、なほ事ざまの優におぼえて、物のかくれよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少しおしあけて、月見る気色なり。やがてかけこもらましかば、口惜しからまし。あとまで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ朝夕の心づかひによるべし。

「ほどよい頃合いで、(友人が)屋敷から出てきた。私はまだ、事の優美さが気になって、物陰からしばらく覗いていると、女は妻戸を少し押し開けて、月を眺めているようだ。男を見送ってすぐに、戸を閉めて中に籠ってしまったら、台無しだっただろう。この様子を、まさか見ているとは女も知らない。このような振る舞いは、普段からの心遣いの賜物であるに違いない。」


男が家を出た後に、その名残惜しむかのように、一人静かに月を眺める女性。



なんて、素敵なワンシーンなんだ。

と、和歌の世界さながらと言うのか、屏風にこの様子を描いて後世に残していて欲しい図。兼好がこの様子を見ているとは知らない女性、この優美な振る舞いが素であり、人柄なのだ。

兼好も、この品の良い女性が強く印象に残り、こうして文学としても残っている。人に見られているから、と取り繕うのではなく、日頃から丁寧に暮らすということ。

このような心がけ、真の上品さを生み、人の心の記憶にも残る。「自分はどうありたいか」と問いかけ、美意識を持つことを考えさせられる。人が訪ねてくることはないから、、と家でモノは散らかっていないか、部屋着にも気を使えているか。


大人になって出会えてよかった徒然草の一つの段落。古典文学から学ぶこと、気づかされることは多い。


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