ヨーロッパのツナ缶に高濃度の有機水銀
クロマグロ資源回復傾向の一方で
タイヘイヨウクロマグロの資源量が回復傾向にあることから、漁獲枠がこれまでの1.5倍に拡大されるという報道があった。これまでの国際的な漁獲規制の効果があったということでそれは喜ばしいことではあるが、一方でマグロ類にかんしては別の懸念もある。水銀汚染だ。
海洋環境と水産資源保全をテーマに活動するフランスのNGOブルーム(BLOOM)が、10月、ヨーロッパのマグロ缶詰製品(ツナ缶)を検査し、高濃度の水銀(メチル水銀)を検出したと発表した。同NGOはイギリス、ドイツ、イタリア、フランス、スペインの5か国から148個のツナ缶を収集し、水銀含有量を調べた。すると、148個すべてからメチル水銀が検出され、その半分以上(57%)はEUの規制値である0.3mg/kg(0.3ppm)を超えていたとしている(ただし、0.3mg/kgはマグロ類以外の魚類にかんする規制値でマグロ類は1mg/kg)。さらにパリのスーパー、カルフール・シティで買い求めたツナ缶(ブランド名はPetit Navire)は、3.9mg/kg(3.9ppm)という非常に高い値だったという。大西洋と太平洋のちがいはあるが、日本で売られているツナ缶は大丈夫だろうか。
メチル水銀は日本(熊本・新潟)で水俣病を引き起こした原因物質としてよく知られている。水俣病は、チッソや昭和電工が長年排出していた水銀(メチル水銀も無機水銀もあった)に汚染された魚介類を食べつづけたことによって発症した。自然界に存在する金属水銀や無機水銀が、水中や泥濘中で細菌の作用によってメチル化されることもわかっている。メチル水銀は細菌から小さなプランクトンに取り込まれ、さらにそれを食べる小型の魚類・無脊椎動物に移り、さらに中型、大型の魚類へと、食物連鎖を通じて移っていく。その過程で「生物濃縮」作用が起こり、生態系の上位にある捕食者、マグロ類や肉食のサメ類、イルカ・クジラ類は高濃度の水銀で汚染されてしまうのである。
メチル水銀はヒトの腸管から取り込まれると、血液を通じてあらゆる臓器・組織に入り込む。とくに肝臓や腎臓には溜まりやすいが、血液脳関門を通り抜けて脳にも入り込んでしまう。脳に蓄積した有機水銀は、感覚障害、運動失調、視野狭窄、難聴といった症状(ハンター・ラッセル症候群)をもたらし、重症になると死亡することもある。さらに妊婦がメチル水銀を含む魚介類を多量に摂った場合、胎盤を通じて胎児の体にメチル水銀が移行し、脳に蓄積してその発達に著しい影響を与える。その結果、知能障害、発育障害、運動障害、脳性麻痺などの諸症状をもって生まれてくるリスクがある。これは胎児性水俣病と呼ばれる。
厚生労働省は、胎児に影響を与えるおそれを考慮して「妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項」を2005年に取りまとめ(2010年に改訂)、注意を喚起している。このなかに「妊婦が注意すべき魚介類とその摂取量(筋肉)の目安」が示されているが、ツナ缶はほとんどビンナガ(ビンチョウ)やキハダが原料なので、水銀含有量が低く問題ないとしている。これらのマグロ類も摂取制限の対象にはなっていない。
しかし、先のブルームの調査で3.9ppmが検出されたツナ缶は、メーカーのサイトを見るとビンナガが原材料であった(ほかのツナ缶もおそらくそうだろう)。イタリアの研究グループによれば、大西洋のキハダのメチル水銀濃度も約0.5mg/kgと、かなり高濃度だ。
ブルームでは、マグロ類の規制値もほかの魚種と同じ0.3mg/kgにすべきで、EUは1mg/kgではなく0.3mg/kgを超えるツナ製品をただちに禁止すべきこと、ツナ製品の広告・販売促進活動を停止すること、消費者に水銀汚染にともなう健康リスクがあることをラベルに表示し、店頭やオンラインでも知らせることを要求している。一方、日本では「妊婦への注意事項」があるだけだ。海産物の水銀汚染について消費者にリスクを知らせるべきではないか。
人為起源の水銀排出が最大の汚染源
マグロやその加工品であるツナ缶は、なぜ水銀に汚染されているのだろうか。水俣病の原因となったメチル水銀はチッソ水俣工場から垂れ流され、閉鎖的な水俣湾で魚介類を高濃度に汚染した。水銀は触媒として工業プロセスで使われ、いまだに発展途上国などの工場から垂れ流されるケースもある。それ以外にも多くのルートが、水銀汚染にかかわっている。そもそも水銀は天然に存在するのだ。
水銀は常温で液体である唯一の金属で、沸点も低く、常温でも大気中で気化する。水銀体温計や蛍光灯・水銀灯、ボタン電池など水銀を含む製品・廃棄物が焼却場で燃やされると、水銀ガスが大気中に放出される。石炭や石油のような化石燃料、鉄鉱石、石灰石などの鉱物資源にも水銀は含まれており、火力発電所や金属精錬所、セメント工場などの排気ガスにも水銀が含まれている。通常はフィルターで補足されるはずだが、その規制や技術が十分でない国々も存在する。さらに個人や零細企業による金採掘(人力小規模金採掘)で水銀が使用され、これも大部分が環境中に出ていく。自然界では、火山から噴出するガスに水銀が含まれており、間欠泉や海底熱水鉱床からも吹き出している。地表からの自然放出や山火事による放出もある。大気中の水銀ガスは、降雨などによって地上や海上に降り注いでいる。
国連環境計画(UNEP)の『グローバル・マーキュリー・アセスメント2018』は、2015年の人為起源の水銀排出量は3100トンに及び、2010年から20%増加した。うち2500トンが大気中に、600トンが陸水に排出されたと推定されると報告している。600トンのうち河川を通じて海洋に流入したのは300トン。人為起源排出量のうち半分近い49%がアジアから、18%が南米から、16%がサハラ以南のアフリカからである。最大(38%)の水銀排出源が人力小規模金採掘で、南米とサハラ以南のアフリカで多い。それ以外の地域では化石燃料の燃焼や産業工程からの排出が中心である。24%が火力発電所やボイラーなどの化石燃料の固定燃焼、15%が非鉄金属精錬、11%がセメント製造、2%が製鉄、そして7%が廃棄された水銀製品からだ。
それ以外に火山などからの放出が500トン、森林火災や植物の燃焼から600トン、地表や植物からの気化が1000トンある。大気中の水銀は年間3600トンが陸上へ、3800トンが海に降下する一方で、海面からは3400トンが気化している。
マグロ類の水銀汚染はいまにはじまったことではない。すでに1970年代から汚染されていたことがわかっている。フランス国立科学センターの研究者らが2024年2月に発表した論文によると、世界の熱帯海域で漁獲されたメバチ、キハダ、カツオの有機水銀レベルは、この50年間(1971~2022)、多少の変動はあるもののおおむね変わっていないという。人為起源の水銀排出量は90年代後半に減少したが、その間むしろカツオやキハダでは高濃度になっている(メバチはデータなし)。90年代後半の人為起源の水銀排出量の減少は、おもに北米やヨーロッパでの排出減少が寄与していたが、その後アジアや南米からの排出がふえたことから、現在では70年代と変わらないレベルになっている。とくに中国の経済発展にともなう鉱工業、発電、廃棄物処理などからの排出増加が大きい。
2017年に「水銀に関する水俣条約」が発効し、締約国には2020年末をもって鉱山からの水銀産出の禁止、水銀を含む製品の製造の禁止、水銀を用いた製造工程の管理および更新・新設の禁止、石炭・石油の燃焼排ガス・排水の規制などが課された。しかし、それ以前に製造・利用された水銀は残っており、環境中にはすでに大量の水銀が蓄積している。つまり今後も(おそらく長い間)、マグロ類はじめ海洋生物の水銀汚染はつづくということだ。
人類が排出した大量の廃棄物は最終的に海に向かうものが多い。水銀にせよ、プラスチックごみにせよ、ポリ塩化ビフェニール類(PCBs)やダイオキシン類にせよ、PFAS(有機フッ素化合物)にせよ、そのほかの多種雑多な廃棄物・化合物にせよ、海は事実上人類の最終ゴミ処分場、いやゴミ溜めになっているのだ。ツナ缶の問題も、汚染が人類に戻ってきているだけである。
水銀(に限らず汚染物質)が人間に影響があるなら、野生生物にも影響があるだろう。食物としてみているが、あれだけ高濃度に汚染されているマグロ類にはハンター・ラッセル症候群のような症状は出ていないのだろうか。マグロ類よりさらに汚染が激しいイルカはどうなのか。
イルカが集団で浜に乗り上げたというニュースを見るたび、それはイルカの脳に蓄積した水銀のせいではないのかと、思うのである。
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